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ことば2

もしよければ上の文章から読んでもらえると嬉しいです。
2020年5月に書いたもの。

最近、この頃から自分が変わったなと思う機会があったので、続編を書くことにする。

今、仕事とは別に学生の頃に関わっていた活動にOGとして参加している。トータルで半年ほど活動することになるのだが、私のテーマは「てきとーな自己主張」。思ったことをそのまま口にしてみよう、ということだ。

というのも、先の文章を書いた2020年は、ちょうど学生時代。その活動に参加していた頃だった。気持ちやアイデアを場面ごとに発したり、発さなかったり。発して反省、発さず反省みたいな癖がついていた頃。正直癖というより性分みたいなもんだから、今だって往々にしてやってしまうんだけど。

そのときの反省や後悔が山ほどあるから、今回参加するにあたってあのテーマを掲げた。

そうして、現在活動が始まり2ヶ月ほどが過ぎたので中間報告。
3年の月日を経て、私は変わっていたということ。


もちろん、発言をする際に「何も考えず」ということはないけど、以前より物怖じせず、空気を読まずにことばを発している気がする。時に無責任に。
それは、私のことばがどんなに歪でも間違っていても、受け手が如何様にも調理してくれるだろうという安心があるからだと思う。同時に、信頼しよう、という私の勇気とも言えるかもしれない。

昔も同じように信頼できる人々に囲まれて活動していたはずだ。活動に限らず友達も恋人もそう。たぶんだけど、相手ではなく、私が変わった。使うことばの語彙も、「なんか」とか「んーと」で間を埋める癖も変わらないのに、私自身が少しだけ強く図太くなると息がしやすくなる。ことばが発しやすくなるんだ。

「私たち10年前からなんか変わったかなー?」
なんて最近友だちと話していたけど、私も、私のことばも、少しずつ変わっているんだろうと思う。

(「てきとーな自己主張」なんてテーマを掲げているのが、私が変化した何よりの証拠だ。昔なら思いつきもしない!)

「ことば(1)」を書いた時、私にとってことばはあくまで自己表現のためにあった。
私だけの考えを、脳内や心のうちから色形そのまんま表現できたら、と。もちろんそれは変わらない。
だけど、今は、ことばが口から出た途端に私のものではなくなることを知ってる。ことばは私と誰かのものとなり、時に、私の持たない絵の具で色が付く。そして今、その感覚は不思議と心地が良い。ことばによって、私はあなたと繋がれるんだということを、学ぶ過程に私はいる。

まだ過程なんだけど。

活動も後半に差し掛かる。引き続き「てきとーな自己主張」に励もう。

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