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猫と暮らす日常が、愛おしく思えるのは。



猫がいる。そんな日常がくすっと笑えて、愛おしく思えるようになってきた。


今までも、猫がいると癒されるな。笑いが絶えないなとは思っていたけど、何かあってもすぐに忘れ、記録も残っていない。

でも、猫と暮らす日常が大切で愛おしくて、ひとつひとつ覚えていたくなった。そう思うようになったのは、くどうれいんさんの日記の練習に出会ってから。



くどうれいんさんの日記の練習を読んでいると、私自身の日常も連動するようにその日の出来事が日記のように思えるようになった。これは日記だって。特に、猫と過ごす日々に反応しているように感じた。



ある日に書いた日記を紹介しよう。

りんちゃん(猫の名前)がにゃゔゔゔーと鳴くから、オオカミに変身しそうだった。

帰り道、空を見上げると、満月だった。
りんちゃん、今日はオオカミになれるよ、と言ってあげた。



その日記を書いたときの話をしてみよう。


飼っている2匹の猫を動物病院(予防接種と爪切りのため)に連れて行ったときのこと。車で病院へ向かっていると、2匹が鳴き始めた。普段家で過ごしているから、ゲージに入れられ外に行くのは緊張しているのだと思う。1匹はいつもの声でにゃーにゃーと鳴くのだけれど、もう1匹は鳴き声が変わった。にゃゔゔゔーと喉が枯れそうな勢いでうなるのだ。その子がりんちゃん。
そのうち、にゃーがなくなって、ゔゔゔーと喉の奥の方から鳴きだしたので、今にもオオカミになりそうだった。「りんちゃん、オオカミになるの?」と思わず聞いてしまうくらい。



次の日の帰り道、空を見上げると、満月だった。これはりんちゃんに教えてあげなくちゃ。家に帰ると、「今日はオオカミになれるよ」と言った。それを見ていた家族の顔には?が浮かんでいるようだったので、「だって、満月だから」と加えると、「あ、そういうことか」と納得して、笑っていた。


‪𓂃 𓈒𓏸



猫と過ごす日々のこと、取りこぼしてしまっていたんだなと気づいた。こんなにも癒してくれて、笑いをもたらしてくれていたのに。今回だけじゃなくて、オオカミになりそうという話は何度もしたことがあるのに、すっかり忘れてしまっていた。でも、日記と感じ取れるようになると、覚えていられる。これは書かなくちゃと。


断片的な日常の記憶を集めていくと、猫と過ごす日々がかけがえのないものと気づいたし、こうやってひとつの記事になった。わたしはそんな日常を掬いとるように言葉にしていきたい。


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