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yossy1022
貨幣:残り滓みたいな選ばれない選択肢たち
日常には、検討できるし頭で考えてみるものの、
やらないことがたくさん溢れている気がする。
残り滓みたいな選ばれない選択肢たちは、
自分の生活を支えてくれている気がしている。
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例えば銭湯に行きたいと思ったとき。
銭湯の少し錆びついたシャワーから出てくる水を髪に当てたくないと思ってしまう。
それに銭湯に備え付けられた、まるでキャンプファイヤーと小さな扇風機の組み合わせみたいな原始的なドライヤーは、進んで使いたいと一度も思ったことがない。できれば使いたくはない。
だから、僕はよく、あらかじめ銭湯に行く前に髪を洗ってしまい、その後に身体をお湯に投げ出すためだけに行ってしまおうと考えてみたり、逆に、まず銭湯でゆっくりと汗をかいてから、帰ってきて安全なシャワーで頭を洗えば良いと考えついたりする。
素晴らしく合理的で自分のニーズを満たしている。
結局、どちらの方法も実践に移したことはないのだけど。
結局は、銭湯でしかたなく頭を濡らし、あのふやけたドライヤーで髪を熱するのだ。
選ばれなかった選択肢の残り滓は、貨幣みたいなものだ。
仕方なくダメージを追った頭部と引き換えに、帰ったあとに本を読む時間を得たり、十分な睡眠を得たりする。
なにか中で燃えているのではないかと思う、あのドライヤーに当たっているとき、僕は何か稼いでいる気がしてならない。