失って残るもの
先日、指輪を無くした。
4年前海外で友人と一緒に買ったとても大事な指輪だった。
とても大事なものなのに、なぜかとても悲しく感じてはいなかった。むしろ、重くなっていた小指が解き放たれて背伸びする空間を与えられているくらいの自由を感じていた。
友達は、4年前にそれぞれの国に帰ってから会ってはいない。お互いSNSにへばりつくようなタイプでもないため、近況も知らない。だけど重要な友達の1人だと思って入る。彼もきっとそう思っている(はず)。
指輪をなくして、どこか心は軋んでいる。
なのに、自由を感じている。
確かに、4年前のセンスと今のセンスは違う。
確かに、あまり人に見せびらかしたいほどのものでもなかった。
確かに、デザインとしては今の自分であれば選ばないものだった。
だけど、大切なものだった。
失ったのか、削ぎ落としたのか。
熟れて果肉が朽ちるように、種を見送るようにするりと離れていったのか。
なんでこんなに悲しくなかったんだろう。
あれはとっても大切なものだったのに。
本当は大切に思っていなかったかもしれない
友情とか思い出とかを大事にする自分の体裁がかわいいだけだったのかもしれない
それとも、話のネタにでもなると思っていたのかもしれない
日常の周りのもので、大切なものなんてほかにもある、
親からもらったものや大切なひとにもらったもの。
今回無くした大切な指輪の「大切さ」は
もう指輪には残っていなかったのかもしれない。
ちゃんと悲しいのに、しっかり自由を感じてしまっている。
友達への思い入れは、なにも変わっていない。