大喜利の答えをショートショートで書く⑩ 走り出したら止まらない! 主人公に何が起きた?
今回はいただいた大喜利のお題からショートショートを書きます
いただいたお題
「走り出したら止まらない! 主人公に何が起きた?」
ドジガールは走る
私はドジだ。ドジな私は今走っている。そりゃもう全力で。
転ぶかどうかの心配はほとんどない。体に刻み付けられたトラウマにも似た記憶が、それだけはさせまいと全細胞に呼びかけている。それに呼応するかのように、体は動き、結果としてずっと、ずっと走っている。
京都は碁盤の目になっていて、迷うことが少ない。走るにはもってこいの場所だ。そして、小さな路地が多いという意味では、多分逃げるのにももってこいの場所でもある。私が後者を活用できる側の人間でないことが悔やまれた。
「えっと、カバンを奪われたのが高野の交差点で、で、さっき北大路ビブレを通り過ぎたから......」気晴らしにそうやって喋ってみてゾッとした。普段ならバスを利用する距離を、私は今走っている。全速力で。ドジなのに。
まったくどうして私ってこんなドジなんだろう。
人生で何度も思ったし、口にした言葉が胸の中でリバイバルされる。
ドジは対策できない。性格なのだ。それでも、体に痛みやトラウマを刻みつけることで、なんとか10回するドジを3回にとどめることに成功した。
例えば、転ぶこと。転びそうになったら、足をもう一歩前に出す。学生時代、あまりにもドジなのを見かねた体育教師が、帰宅部だった私を半ば強制的に陸上部に入れた。女の子なのに、毎日体に傷をつけて帰った。お母さんは「あんたのドジは命に関わる。死ぬこと以外かすり傷よ」と言いながら治療してくれた。当時の私の苦しみを誰も理解などしてくれなかった。「いつか役に立つ日が来る」と何度も言われ、その度に恨むような気持ちになったものだが、本当にその日が来るとは思わなかった。
私は今、全速力で窃盗犯を追いかけている。彼が盗んだものは私のカバン。カバン自体は河原町の安いカバン屋さんで買ったものなので惜しくないが、問題なのは中身だ。
今日は給料日。私の唯一の楽しみは満額引き出すことくらいで、つまりカバンの中には私の今月分の給料が全額入っている。
貯金はしたことがない。余った先月分も一緒に財布の中に入れていき、ある程度貯まったら大きな買い物を一つするのがルーティンで、これもまた楽しみだった。あんなにお金を払ったのに、まだ財布の中にはこんなに残っている、会計後、重い紙袋を持ちながら財布を見て、そう思うのが好きだった。
つまり私の生活費が全て窃盗犯の手中にあるわけだ。彼を見失うのは角を曲がった一瞬だけで、すぐに見つけ出せる。距離は広がらないが、縮まりもしない。陸上部で鍛え上げられた脚力のおかげで追いかけ続けられているが、陸上部で刷り込まれた正しいフォームや、息が上がりすぎないようにするテンポなどのせいで、彼との距離は以前縮まらない。
彼は、北大路ビブレの前の道を曲がり、烏丸線に沿うように南下している。
通り過ぎる人々は誰も協力などしてくれない。何事かと、ちらちら見はするが、痴情のもつれだと瞬時に勘違いし、触れないが吉と判断するらしい。パトカーも一瞥したきり、通り過ぎていった。
助けてください! と叫びたかったが、そんなことをすれば体力を消耗してしまい、逃げ切られてしまうかもしれない。だから、思い切り息を吸って、少しテンポを上げることにした。距離が近づく。
彼は後ろを軽く振り向いて、距離が近づいていることを確認すると、同じようにテンポを上げた。
驚いた、彼もまだ走りのポテンシャルを残しているというのか。自分は後何段階、それを残しているだろうか、と考える。実際に走れるスピード、というのもあるが、考えなくてはいけないのは、私のドジのことだ。スピードを上げればあげるほど、ドジをする確率は上がる。陸上部で鍛え上げられ、卒業してからもランニングを日課としている私だが、ランニングのラストスパートでスピードを上げすぎて、転んでしまうこともあった。
そのときのスピードがどれくらいだっただろうか。考え事をしていると、ふっと窃盗犯が消えた。
気づけば今出川通りの交差点だった。考え事をしていたせいで、左右どちらに曲がったか定かではない。ふと、今日の朝のニュースで、いつもと違うことをしてみるのも吉、と出ていたのを思い出し、試しに左に曲がり、京都御所に入った。今まで一度も入ったことがなかったからだ
窃盗犯を見つけた。彼はあたりを見渡し、物陰に隠れて息を整えているところだった。どうやら彼のポテンシャルはぎりぎりだったらしい。私はラッキー! と勢いを強め、スピードを上げた。
あっ、
そう思ったときには体が宙を待っていた。数秒後、敷き詰められた小石の上に、まるでお金持ちが敷いている動物の皮そのままのカーペットみたいなポーズで倒れる。
倒れたのは、スピードを上げたせいではなかった。京都御所内は小石が敷き詰められており、スピードを上げたタイミングと、小石エリアに足を踏み入れたタイミングが一致し、足を滑らせてしまったのだ。
「あでっっっっ!!」と女の子らしからぬ声を上げたせいで、バレてしまい、彼はまた走り出してしまった。
幸運だったのは、彼が御所を出てくれたことだ。追いかけていると、近くを通り過ぎる自転車が何事かとこちらを見る視線に当てられる。
中古感満載のボロボロの自転車に乗っているのは学生だろうか、3人で歩道に並列になっている。そのまま並列でいてくれ! という願い虚しく、男の「どけどけどけ! 殺すぞぉ!」という声にあっさり離散した。
しかも面倒なのが、学生たちはしばらく戸惑ったりはせず、今のなんだったんかな? とすぐに並列に戻って会話を始めたことである。
私もどけ! と言ってやりたかったが、そんなことをしたら体力が持たない。仕方なく、片手でパルクールの容要領で柵を越え、車道に躍り出た。幸い、ルールを守って車道を走る自転車はなかった。車にはクラクションを鳴らされたが、横断するわけではないから許して欲しい、と思いながら、再び柵を越えて、歩道に戻る。
タイムロス、体力もロス。このままではマズイかもしれない。しかし、彼も先ほどの大声でだいぶ体力を持って行かれているだろう。まさかここまで追ってくるとは思っていなかったはずだ。京都御所内で息を整えていたところを見るに、そろそろ体力の限界のはずだ。私は速度を少し緩めたが、彼との距離は遠ざかるどころか、近づいていく。
京都御所横を通り過ぎ、丸太町の交差点では東の橋に向かって折れた。そこから京阪の神宮丸太町駅を通過し、京大病院の南、聖護院の交差点を南下する。
私は一つ計画を立てていた。その方向には橋を渡ってすぐに警察署があるのだ。そこで助けを求めよう。
彼が橋を渡らなければこの計画はパーだ。だが、聖護院から警察署までの間には路地と呼べる路地はない。あってもほとんど袋小路か、路地を抜けたとしても、高野まで北上してカバンを盗まれたところまで一周するか、カバンを盗んでから走って逃げてきた道をもどることになる。
読みは半分正解で半分意外な結果になった。橋を越えたまでは良かったが、越えてから、彼がした行動が意外だったのだ。彼は警察署に入って行った。
私は今まで通り追いかけたが、入り口にいた警察官に二人とも止められる。私は手を伸ばして、彼を掴もうとするが、いつのまにかやってきた他の女性警官に取り押さえられる。先ほどは見て見ぬふりをしたくせに、と言いたいことを堪え、また息を整えながら出てきたのは「金、金」とこちらが犯人のようないやしい発言だった。
警察署内の会議室のようなところに通される。事情を説明している途中で、窃盗犯を連れて行った警察官が入ってきて、私の担当官に何やら耳打ちした。
「あちらの男性は、急に追いかけられた、と言っているそうです。彼とは以前から関係が?」
「は? だから私は言っているじゃないですか。私は彼にカバンをひったくられて、だから追いかけているんですって」
警察官は頷き、今度は窃盗犯を担当する警察官に耳打ちする。
ほどなくして、また戻ってきたその警察官からは「カバンは持っていないようでした」
などと、耳を疑う言葉が返ってきた。
「じゃあ私は何のために、こんなに全力で走ったって言うんですか!?」
「それをお聞きしたいのです」
「私はカバンを盗まれて、それで追いかけていました」
それ以外に言えることはありません! と言い切ったが数秒後に「じゃなきゃ、なんでわざわざ高野から北大路、今出川からここまでと走らないといけないんですか!?」と怒りから口走ってしまう。
「ん? ちょっと待ってください。今どこを走っていたとおっしゃいましたか?」
「だから、高野からここまでですって」
「高野から南下してきたというわけではなくてですか?」
「だからぁ!」
今日あったことの流れを一から説明する。怒りもあって、うまく説明を省略できなかったが、警官はふむふむと何やら帳簿をつけている。
「ありがとうございます。最後にカバンの特徴をお伝えください」
警官は帳簿から目を上げずに言う。それにすら苛立ちながら答えたが、言い終わると顔を上げて微笑んだのを見て、期待が高まる。近くにいた警官に耳打ちをしたかと思うと数分後にカバンを持ってやってきた。
「こちらではないですかね?」
警官は持ってきた他の警官から受け取り、私の前に差し出すまで、カバンを丁寧に触れていた。河原町で買った激安カバンなのに、と先ほどまでの怒りはすっかり警官への信頼へと変わる。のと同時に申し訳なくなった。怒りが瞬間で冷えたのを隠すようにその激安カバンを抱きしめる。
そうだ、このカバンが欲しかったわけではないのだ! 大事なのは中身。財布は......ある。
ほっとして出た言葉は「どこにあったんですか?」
「京都御所です。通ってきたルートを聞いて、もしやと思ったんですが」
きっと私が転んでもなお追いかけてくるのに恐れ慄いた窃盗犯が落としてしまったのだろう。窃盗犯はそれほどまでに捕まることを恐れた。追いかけてきている人の目的がカバンであったことを忘れてしまうくらいに恐ろしい私って......。
急に女の子としてそれはよくなかっただろうかと思い、恥ずかしくなる。いやいや、どんな優しい人でも流石に生活費全てを奪われてその犯人がいたら、必死の形相になるはずだ。
「カバンがあった、ということはあちらの男性が言っておられた急に追いかけられたというのも否定しきれないですね」
は? と顔に力が入る。瞬間、怒りは再燃。申し訳なさもありがたいという気持ちもすっと後ろに下がり、最前面には不信感が躍り出る。顔もきっと人様には見せられないものになっているだろう。
「ですから」と説明をしようとしたが、
「同じ説明をされても、その疑念を晴らすのは......難しいかと」
どうしてだ。状況はシンプル、盗まれたから取り返そうとした、それだけ。奪ったものが悪く、奪われたものは悪くない。
そんな当然の摂理も分からないのか。そんなのでよく警察官になれたな。胸の中に渦巻いている感情が表情に出ていたのだろう。女性だということで、つけていただいた女性警官から屈強な男性警官に交代になった。
彼は帳簿を見て、「重ねてのことになるのですが」といくつか質問をする。それにどこかぶっきらぼうで答えていると、また他の警官が入ってきて耳打ちをした。
「男性の方がこれからオンラインで授業があるそうで、自白いたしました。よってあなたは帰っていただいて大丈夫ですよ」
良かったですね。と言わんばかりの笑顔で警官は答えた。何も良くない。たくさん走らされたし、転んだし、時間も損をした。それなのに相手にお咎めがないというのは我慢ならない。しかしその旨をいくら伝えても「相手も、学生ですし。キツく言っておきますから」の一点張り。
仕方ないので警察署を出たが、あの犯人はもしかしたら警察官の知り合いなのでは、という疑念が晴れずモヤモヤする。
ひとまず財布が戻ってきたことを喜ぼう。
中身は......大丈夫だ。先月残って繰越した分まできっちり入っている。一円も取られてない。これから何をしようか、その思案に気を取られて、転んでしまった。
硬貨が地面に散らばり、その中で五百円硬貨が二枚も側溝に吸い込まれていった。
あぁ、なんて私はドジなんだろう。
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