日本には"いいもの"を大切に長く着る価値観があるじゃないか
こんにちは、今日は雨模様の兵庫県です。
凍てつく鋭い空気から少しぼやけた空気の気候になりましたね。
いつもは夜に子供達が寝静まった後書くことが多いのですが、今日は昼間にふと書きたいことが降ってきたので
忘れないうちに書いておこうと思いポチポチと誤字脱字を気にせず打っています。(きっと今回も誤字多めです)
前回の投稿の中で日本人の美意識について少し書いたのですが
その美意識が今の現代にはもっと必要なのではと思っています。
長く大事に使うこと
宮崎に住んでいた頃、私は祖母と一つ屋根の下で暮らしていました。
90歳の祖母はとにかく「もったいない」が口癖で衣類も捨てることができませんでした。
戦時中の「何もない」を生きた人なので今が足りすぎる時代だと言い質素に暮らすことを好んでいます。
ある日、親指が見えていた私の靴下をタンスで見つけたんでしょう。丈夫に当て布をして紡いでくれていました。
実はその靴下捨てようと思っていたんです。特に思い入れもないので似たような物をまた買えばいいや〜と思って。
ゴミ箱にポイっと入れればOK、ネットでポチッと注文すれば翌日には新しい物が家に届く、まぁ〜便利で簡単です。
手っ取り早く穴の空いていない靴下を履くには
穴を塞ぐより新しいものを買った方が早いと思わせる便利な世の中。
「ばあちゃんこれ捨てようと思ってたから、縫わんでよかったっちゃが〜!でもありがとう」と祖母に言ったら
「なんでもかんでも捨てるのは金を捨てるのと一緒じゃがね。」と怒られました。
はい、その通り。
消耗品のファストファッションは捨てられる靴下と同じ
ばあちゃんの言葉で頭に浮かんだのは今のファストファッションの流行です。
SHEINなんて若い子たちはみんな使ってるんじゃないでしょうか?
安くてトレンドの服が簡単に買える、失敗してもまぁ安いからいいかで許容できる。価格を見るとビックリしますが、
たくさんの服を着たい自分の可能性を試したい10代、20代のニーズにはあっていると思いますし
消耗品として着る価値観もありだと思います。
しかし、安くてコスパがいい!はその一時的なものでその時期だけの消費です。それは穴の空いた靴下と一緒で安いから買い替えが効く物。常に消費を繰り返す事は決してコスパがいいとは言えないのではないでしょうか?
買う→捨てるのサイクルが早い事
ファストファッションが悪いと言いたいわけではありません。
私が伝えたいのは買う→捨てるのサイクルが早すぎる事に対してもう少し考える必要があるのではと思うのです。
ファストファッションは安価なためどうしても生地がペラペラであったりします、なのですぐにダメになる事も多く買う→捨てるのサイクルが早いのです。
さらに言えば、この服をどうしても着たいと熱量があって買った服ではないのでお直しまでして着たい服ではなく愛着がない場合も多いです。
だから尚更、ゴミ箱に直行できるのだと思います。
江戸時代はつぎはぎをしながら服を捨てなかった
話は戻りまして、日本人の美意識の中に古いものを長く使うことがあります。江戸時代の人々は着物が破れたらツギハギをし決して捨てなかったそうです。それは今の世の中のように物が溢れていない理由もありますが、何より愛着があったからだと思います。
それは服だけじゃないと思います。
ミシュラン星の京料理店をされている料理長との会話で料理の世界でも言えることだと知りました。
「新しいお皿を買ったんです」と見せてくれたので
「料理長さん、たくさんお皿は持っているでしょう?収納場所に困りませんか?」と聞きました。
「新しいお皿を買ったら、今あるお皿を後輩や弟子に贈るんです。それが和食の慣わしなんです。」と話してくれました。
あぁ、とても素敵な慣わしだと思いました。
日本人の美意識とはここにもちゃんと残っているじゃないかと。
服で言えば
親から子へ、時代を超えて愛着が積み重なる服を手入れをしながら大切に着ること。私はこの美意識がとても素敵だなと思います。
常に最新ファッションに身を包むこと=オシャレとは私は思わない
誇らしげに自分の愛着が持てるものを大事にほつれるまで着ている方が断然クールじゃないでしょうか。
私が服を買うときに思うこと
私が服を買うとき、"今"着たい服を選ぶ日もありますが
長い期間おばあちゃんになってもずっとこの服を着たいと思って買うことが多いです。
なかなか耐久生や価値を考えると必然的に高価なものになるので
頻繁には買いませんがバーバリーのトレンチコートやジバンシィのアンティーク時計がそうです。
自分にとってとっておきの服
娘、息子にも受け継いでいきたいと思える服
一つ一つ宝物箱のようにお気に入りをたして行くそんな感じでクローゼットを育てています。
だから、とっておきの場に行くときや大事な人に会いに行くときは迷わずその服を選びます。
私にとってその服たちは年をとっても環境が変わっても変わらずそばにいてくれる「親友」のような存在なんだなと思うこの頃です。