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生成AIで作った記事はなんとなく分かる
ロッシーです。
noteの記事を見ると
「あ、この記事は生成AIで作成しているな」
というものが最近目立ってきました。
なんとなく分かるんですよね。ノイズがないというか、やけに整いすぎているというか・・・。
別にAIで作った記事だから悪いわけではありません。良い記事は良い記事ですから。それに、生成AIがこれほど普及してくれば、そういう記事が増えてくるのは当然です。
私自身、以前実験として、ChatGPTで記事を作成してみたことがあります。プロンプトも色々と工夫してみました。
でも、出来上がったものは、どうも自分が納得のいくものではなかったためアップはしませんでしたけどね。なんかこう、しっくりこないんです。表現するのは難しいのですが。
さて、今後AIの性能が等比級数的に進化すれば、自分がしっくりする記事を簡単に作成することができるのかもしれません。
でも、仮にそうなったとしても、私は使うことはないでしょう。
私にとって、noteで記事をアップすることは仕事ではなく楽しみなのです。だから、効率化とか生産性、タイパとかコスパという思想とは対極に位置します。
それに、プロンプトの工夫をすることに労力をかけるのって、全然面白くないんですよね。それだったら、その労力は記事作成に使いたいです。自分の脳みそを使って、あーでもない、こーでもないと文書を練っていくプロセスそのもののほうが楽しいのです。
と、ここまで書いてきて、これって将棋と一緒だなと思いました。AIを使ったらどんな相手と対局しても勝てるでしょう。でも、そんなことをする「意味」がそもそもあるのか?という話です。自分の頭で考えて指すことが楽しいのであって、AIを使って効率的に相手に勝つことが目的ではないのです。
まあ、note記事を収益化したいような人にとっては、AIを使って記事を量産化、自動作成化できることはありがたいでしょう。
ただ、そういう記事って冒頭にも書いた通り、なんとなく分かるんですよね。もし、分からないとすれば、それはその記事を作成した人が、多大な労力をかけてプロンプトを作り込んだ結果でしょう。それはそれで時間とコストをかけているのですから、結局ある種の労働といえなくもないですよね(笑)。
とにかく、記事を書くという行為だけを見れば、効率的に実現できる時代になりました。それは同時に、
「で、効率的になったけど、それであなたはどうしたいの?」
ということが問われる時代なのかなと思います。
効率化の道を突き進む人もいれば、それとは真逆の方向に行く人。色々な道があっていいと思います。
ちなみに、この記事をChatGPTに評価してもらい、修正版を作成してもらいました。以下、それをコピペいたしますので、お暇な人は読み比べしてみてください。確かに内容的にはよりまとまっていますが、やはりなんだかしっくりきません(笑)。
【以下ChatGPTによる修正版】
最近、noteの記事を見ていると、「あ、この記事は生成AIで作成しているな」と感じるものが増えてきました。具体的には、文章がやけに整いすぎているとか、全体にノイズがなく、滑らかすぎるといった特徴が目立ちます。
生成AIで作られた記事が悪いというわけではありません。むしろ、これだけ生成AIが普及してくれば、そういった記事が増えるのは当然の流れでしょう。私自身、実験的にChatGPTを使ってnoteの書評記事を作成してみたことがあります。プロンプトを工夫してみたものの、出来上がった記事にはどうしても納得がいかず、結局アップすることはありませんでした。
生成AIの進化と創作活動の楽しさ
AIがさらに進化すれば、誰もが簡単に納得のいく記事を出力できるようになるかもしれません。ただ、仮にそうなったとしても、私はAIを使って記事を書くことはしないでしょう。なぜなら、私にとってnoteで記事を書くことは、効率化や生産性を求めるものではなく、楽しみそのものだからです。
記事を書くプロセスでは、自分の脳みそをフル活用して、あーでもない、こーでもないと試行錯誤することが楽しいのです。一方で、生成AIを活用する場合、プロンプトの工夫に時間や労力をかける必要がありますが、その作業は私にとってあまり面白くありません。そう考えると、記事作成の効率化を目指すよりも、自分自身で文章を練る方が充実感を得られるのです。
この感覚は、将棋の楽しさに似ているかもしれません。AIを使えば、どんな相手にも勝てる可能性がありますが、それで「自分の頭で考える楽しさ」が失われるなら、果たして意味があるのでしょうか。効率的に勝つことが目的ではなく、考えて指すプロセスそのものが楽しいからこそ、将棋を指す価値があるのです。
効率化と楽しみの両立を考える
一方で、生成AIの活用は、収益化を目指すnoteユーザーにとって非常に有用なツールになるでしょう。AIを使えば記事の量産化が可能になり、効率的にコンテンツを作成できます。ただ、AIを使った記事にも、やはり「人間らしさ」を感じる部分が必要です。そのためには、プロンプトの作り込みや、AIが生成した文章に対する微調整が欠かせません。
ここで問われるのは、「効率化を目指すことが自分にとって本当に意味があるのか?」という点です。効率化を追求すること自体が目的になってしまうと、創作活動の本質的な楽しさを見失う可能性があります。逆に、楽しみを重視するあまり非効率的な方法に固執するのも、選択肢を狭めてしまうかもしれません。
効率化と楽しみは、必ずしも対立するものではありません。たとえば、AIを補助的なツールとして活用しつつ、自分の創造性を発揮することで、効率化と楽しみを両立させることも可能です。
AI時代における創作の意義
生成AIが普及し、記事作成が効率的に実現できる時代になった今、私たちは改めて問われています。「効率化の先に、何を目指すのか?」と。
効率化を突き詰める人もいれば、効率とは逆方向に進む人もいるでしょう。どちらの道を選ぶにしても、自分にとっての創作の意義を見つめ直すことが重要です。生成AIは単なるツールであり、それをどう活用するかは私たち次第です。
記事を書くという行為が、単なる作業ではなく、自己表現や楽しみの一環であるなら、効率化の追求が必ずしも必要ではないのかもしれません。逆に、収益化や情報発信を目的とする場合、効率化のためのAI活用は非常に効果的です。
最終的に重要なのは、自分が「どうしたいのか」を明確にすることです。効率化の道を選ぶ人も、楽しみを追求する人も、それぞれの価値観に基づいて選択していけば良いのです。
修正ポイントの説明
具体例を追加
「ノイズがない」「整いすぎている」といった生成AIの特徴に具体例を加えることで、読者が共感しやすくなります。読者層を広げる視点
「収益化を目指す人」と「楽しみを重視する人」の両方に向けた内容にすることで、多様な読者層に訴求します。効率化と楽しみの両立に言及
効率化と楽しみの対立構造を緩和し、両立の可能性を示すことで、よりバランスの取れた視点を提供します。未来への展望を明確化
AI時代における創作活動の意義を問うことで、読者に深く考えさせる内容にしています。
AIを使うと確かに便利です。でも、多少記事の内容がまとまっていなくても、それでいいんじゃないでしょうか。不完全だからいいんです。それが侘び寂びというものです。
今後も自分の脳みそと手で書き続けたいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!