【書評】『苫米地英人 宇宙を語る』を読む。あなたがリアルな存在かどうかはどちらでもいい
ロッシーです。
苫米地英人さんの、『苫米地英人 宇宙を語る』を読みました。
読む人によっては、世界観が変わるかもしれません。
「なぜ」宇宙は生まれたのか?
この本は「なぜ宇宙は生まれたのか?」という根源的な事柄について書かれており、非常に面白い内容です。
「宇宙はどのように発生したのか?」
という物理的な理論については、日々研究がすすめられています。
しかし、
「なぜ宇宙が生まれたのか?」
という問いについては、これといった答えがありませんし、ややもするとスピリチュアルやオカルト系の話になってしまいがちです。
そういう意味では、この本に書かれている内容も著者の意見という域を出ませんが、それでもやはり非常に興味深い内容になっています。
なぜ宇宙が生まれたのか? それは、
「寂しいから」
というのが本書の結論です。
これだけだと「???」だと思います。
以下、本当にざっくりと箇条書きでポイントを記載します。詳細は本を読んでいただければと思います。
ざっくり説明
・私達は、本来非常に抽象度の高い純粋な情報状態の存在としての生命体であった(体もない)
・そのような世界では、一人一人が宇宙の領域を持っており、同じ世界を見たとしても、誰も同じ世界にいない(自分にとって重要な情報しか見えていない)
・このような状態は、2500年前に釈迦が言った「唯識」の世界である。
・体もなく、情報状態だけの人類にとっての宇宙は、その人が好きなものだけを集めて勝手にストーリーをつくり上げたものとなる
・それは、すべてを自分でコントロール可能な世界となる。自分でなんでもコントロールできるがゆえに、そのような世界には次第に「飽きてくる」
・よって、それ以外のストーリーを求め始めるが、結局はそれも自分が作った情報世界であることに変わりはなく、「寂しい」ことに気づく
・寂しい思いが、「みんなの公共スペースをつくろう。」となり、抽象度を下げた物理空間としてのこの世界がつくられた(そこでは、自分以外の人の存在に対してコントロールができない)
・そして起こったのが「ビッグバン」
・時間は過去から未来ではなく、未来から過去に流れている。未来から見た今に生きているのが私達であり、この宇宙。
・神は誰がつくったのか。それは私達の記憶
・もともと、私達一人一人は、全員が主人公としての精神世界にいた。つまり全知全能の存在であり、神だった
・私達が共同でつくったこの宇宙という物理的世界に、自分と同じ存在である人間として進化させたわけだから、究極的な姿として、未来の神(つまり自分)の姿が共同幻想として生まれることとなった。つまり、神というのは未来の人類の記憶であり、未来の自分達を思い出しているだけ
ひとつの世界の見方
さて、いかがでしたでしょうか?
普通の人が上記を読んだら、かなりぶっとんだ内容だと思うことでしょう。
ただ、シミュレーション仮説に詳しい人、SF小説が好きな人、映画「マトリックス」「インセプション」「トゥルーマン・ショー」「フリー・ガイ」などの世界観を理解できる人にとっては、それほど突飛なものではないように思います。
実際に、私達はネットゲームなどで、共同のプライグラウンドである特定のクラウドサーバーにアクセスし、他のプレイヤーと遊んだり戦ったりして楽しんでいるわけです。
それと同じような構造が、今私達が生きているこの世界にもフラクタル構造的な意味で成り立っていると考えることは、何らおかしなことではありません。
もちろん、改めて言いますが、これはあくまでもひとつの「世界の見方」です。
結局どちらでもいい
結局のところ「寂しいから宇宙が生まれた」のか、「私達はもともと情報状態としての生命体だった」のか、本当のところは分かりません。
大事なことは、
「それはどっちでもいいこと」
なのではないでしょうか。
映画「フリー・ガイ」で、主人公に対して親友がこう言います。
仮想現実なのか本物なのかなんて、どちらでもいいのです。
あなたの思考、感情、行動が誰かにプログラミングされていた結果だとしても、どちらでもいいのです。
大事なことは、あなた自身が今をリアルに感じていることなのではないでしょうか。
今日も、この世界を楽しみましょう!
最後までお読みいただきありがとうございます。
Thank you for reading!