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あなたに必要なのは「嫌う勇気」
ロッシーです。
「あなたが嫌な人でも、探せばどこかしら良いところがあるんだから、その良いところを見ようよ。」
私はこういう言説がどうも腑に落ちません。
確かに、嫌な人でも探せば良いところは見つかるでしょう。
でも、だからといって、あなたがその人を「嫌だ」と思う気持ちが変わるのでしょうか?
私は変わらないですね。だって嫌なものは嫌ですから。
ピーマンが嫌いな人に、「ピーマンは栄養があって体にいいという良いところがあるんだから、ピーマン食べようよ。」
と言っても食べませんよね。
逆に、喫煙者に「タバコは健康に悪いから吸わないほうがいいよ。」と言っても、吸うのをやめませんよね。
それと同じです。
逆は成り立つのか
今のはあくまでも例えですから、もっとわかりやすくするために、今度は逆を考えてみましょう。
「あなたが好きな人でも、探せばどこかしら悪いところがあるんだから、その悪いところを見ようよ。」
さあ、どうでしょうか?
あなたの好きな人を想像してみてください。
その人にも嫌なところがあるでしょう。だらしないとか、口うるさいとか、ケチだとか、服のセンスが悪いとか、口臭がちょっとキツイとか、片付けをしないとか・・・。
さて、嫌いになりましたか?
ならないですよね。好きな人に嫌なところがあっても、その人が好きですよね。
嫌いな人は嫌い
つまり変わらないんですよ。
相手の良いところを見たって嫌いな人は嫌いなわけです。
逆に、相手の悪いところを見たところで好きな人は好きなわけです。
人の好き嫌いというのは、ロジカルに割り切れるものではありません。
だから、「良いところをみなよ」という言説は、人の好き嫌いに関していえば、意味がないと思っています。
良いところを探す必要なんてない
そもそも、嫌いな人の良いところを、なぜあなたがわざわざ探す必要があるのでしょうか。
そんなことをする必要はないと思います。
そういうことをする時点で、無理をしているわけです。つまり、
「あの人が嫌いなんだけど、嫌いだと思うことは良くないことだから、どうにかしないといけない。良いところを探さないと。」
と思っているわけです。
でも、人を嫌いになることが良くないなんて誰が決めたのでしょうか?好き嫌いがあるのが人間です。動物にだって好き嫌いがあります。
だから、無理に良いところを探そうとする必要なんてないのです。
そういう不自然なことはやめましょうよ。
「嫌われる勇気」と同じくらい「嫌う勇気」も大事
嫌いという気持ちを負の感情として排除してはいけないと思います。好きと嫌いは同等の価値があります。
嫌いという感情を認めてあげないのは、あなたの中の「嫌い」という感情に対して失礼だと思います。
しっかりと、その嫌いという感情を認めてあげてください。
「嫌われる勇気」という本がベストセラーになりましたが、私は「嫌う勇気」だって同じくらい大事だと思います。
嫌う勇気がないから、そうやって良いところを無理して見つけようとするのです。それは自分に対して嘘をつくことです。
まずはしっかりと自分の気持ちを認めることが大事です。そのあとどうするかはあなた次第です。
嫌いな人を好きになろうとしてもよし、そのまま放っておいてもよし、嫌い続けるのもよしです。
いずれにしても、その人を嫌いになっているあなた自身だけは嫌いにならないでください。
Thank you for reading !