希死念慮と自活

最後からもう1年経ったかな、希死念慮とお久しぶり。
わたしには夢があって、それを叶えるための道中を歩いている。それは確実な努力と苦労とをもってやっと手に入る夢。その夢(というか目標)を叶えられたとすると、その後にわたしがやりたいことってなんだ、私の生きる意味ってなんだ、私は何を目指して生きればいい?そう考え出したら負のループから抜け出せなくなった。
躁鬱。
生きている限り逃げられない悪魔との契りを交わしたようなもの。死んでも逃げられないのかも。
これを書いている今でも頭の中がぐるぐる動いているのを生々しく感じる。いいことばかり考えられたらいいな、と思う反面、決して悪いことばかり考えているわけではなく、ただ頭の隅っこがどうしようもなく重たい。それに名前をつけたのが希死念慮って言葉だ。
電車を見る、車を見る、木を見る、薬を見る、包丁を見る、海を見る、日常生活に死は転がっている。
毎日自室で過ごす時間は常について考える。でもなぜ行動に移さないのか。
真っ暗な世界でも、どうしたって明日は来る。死のうとして、行動に移した時。明日、もし死ねずに生きているとしたら、助かってしまったら、私がもっていた目標は絶対に叶わない目標になる。それが怖い。死ねたらいい、けど死ねなかったら死のうとした自分の意思と行動が私の未来の全てを壊す。自分が生きたいのか死にたいのか、それさえもわからないまま、1人で雨の音を聴く、雨垂れちゃん。

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