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〈アジア主義〉の再考と再興〜『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』

◆中島岳志、島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』
出版社:集英社
発売時期:2016年2月

気鋭の政治学者・中島岳志と宗教学の泰斗・島薗進の対談集です。

愛国心と信仰心が暴走したあげく戦争へと突入していった戦前日本の全体主義。それは戦争の直前に突然湧き起こってきたものではありません。同じ轍を踏まないためには、明治維新まで遡って日本の宗教と国家デザインの変遷を考えるべきではないか。これが本書の基本認識です。そこで国家神道や国学的思想だけでなく、親鸞思想、日蓮主義など仏教諸派から派生した考え方が戦前戦中の国家主義と親和していった背景が検討に付されます。

過去についても現在についても、神道を中心にすえて日本の全体主義化や右傾化を論じようとする論考はあとを絶ちませんが、そのような単調な見方を相対化する意味でも本書の歴史的検討は貴重だと思います。

近代日本の歴史150年を第二次世界大戦を境にして75年で区切ることができ、それをそれぞれ25年単位で分けると三つの時代区分になるが、それが似通った変化を遂げている、という見方はなるほど興味深い。ゆえに戦前戦中の分析は今後の日本社会の行く末に関して大きな示唆を与えてくれることになるはずです。

中島は、戦前に極端なナショナリズムに走った人々のタイプとして「煩悶青年」と呼ばれる若者像に着目します。石原莞爾は煩悶の末に日蓮宗系の国柱会会員となり、日本の軍国主義を背景に満州事変を起こしました。三井甲之は親鸞主義の国家主義者となりました。「煩悶青年たちは『自分探し』の果てに宗教と出会」い、そのうちの一部は超国家主義的なテロリズムへと走っていった、という見立てです。島薗は中島の分析を補強したり修正したりしながら「愛国」と「信仰」の構造を見極めるべく話を展開していきます。

宗教的な中間共同体の復興を!?

ただ、前半でそのような歴史的考察を行なった後に今後の展望や処方を提起していく段になると、対話が陳腐な様相を呈してくるのはやや残念。中島は従来の保守思想のコンセプトを繰り返す発言がめだち、対する島薗も世俗政治での腐敗や失敗に起因する社会の閉塞状況の打開をもっぱら宗教に求めようとします。ここは賛否が分かれるところでしょう。私見を述べれば、宗教学者とはいえいくらなんでも視野が狭すぎるのではないか。宗教的な中間共同体の復興をともに唱えている点も本書の文脈ではあまり賛同する気になれません。

中島はさらに結語的にアジア主義の再編を提起し「多一論」なる概念を導入して相対主義の克服を目指しますが、同時にそれは言語化できないとも述べています。柳宗悦の思想を一つの可能性として名指しするところも、私には魅力を感じることはできませんでした。

もちろん日本が望ましからぬ方向へと急速に進んでいるという現状認識は私も共有します。二人の対話はいささか尻すぼみには感じられましたが、同じ過ちを繰り返さぬよう歴史的な構造を見極めようとする二人の対論には学ぶべき点があることは確かです。

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