窮境を乗り超えさせてくれた言葉〜『親密な手紙』
◆大江健三郎著『親密な手紙』
出版社:岩波書店
発売時期:2023年10月
「窮境を自分に乗り超えさせてくれる」言葉を大江健三郎は多くの書物や友人のノートなどに見出してきたといいます。それらはまるで自分に宛てられた「親密な手紙」のようなものだったと。伊丹十三との出会いからフランス文学者の名を知り大学進学へといたる具体的な挿話に始まって、さまざまに実現した「親密な手紙」との遭遇が綴られていきます。
井上ひさしが若き頃に書いた「創作ノート」。そこには「大江氏が長篇ですぐれたものを書くことはできないのではないか」と記されていました。後年、井上の未亡人からこのノートのコピーを送られて、大江は晩年の創作に向かったのでした。
同じ成城に住んでいた大岡昇平との思い出話も興味深い。大江が自転車で買物に出かけた際に偶々大岡に遭遇することがあったらしい。買物の途中にあった大江は「五分しか話相手をしてくれない」と大岡がエッセイでボヤいていたというのですが、その大岡からある会合で批判されたことを懐かしく想起するという一文は本書のなかでもひときわ印象的です。
『個人的な体験』を皮切りに大江の英訳版を出版してくれたグローヴ・プレスのバーニー・ロセットとの関係も良好なものでした。彼は未完に終わった自伝のなかで、大江をサミュエル・ベケットと並ぶ者として絶賛していたことを彼の死後に知ります。作家はよき編集者とともに存在するということを再認識しました。
魯迅に関する一文も素晴らしい。大江が生まれた時、母親がたまたま岩波文庫で出た魯迅の短篇集をひとり東京に進学した女友達に送ってもらいます。ずっと誰にも見せず千代紙に包んでおいて、東京の大学に進んだ息子=健三郎に手渡したのでした。
魯迅は述べています。
希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。
それはまさに地上の路のようなものだ。
本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。
……これは今でもよく引用される有名なフレーズです。大江は反原発の集会に参加した時、その魯迅の言葉を引用して短いスピーチを行ないました。
このようにして世界の才人たちの言葉が大江というフィルターをとおして今に甦るのです。多くの「親密な手紙」を受け取ることができた大江は幸福な作家だったに違いないと思いますが、そんな文学者と同じ時代の空気を吸うことのできた私たちもまた幸運であったといえるでしょう。
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