道徳教育が成功した例はありません!?〜『みんなの道徳解体新書』
◆パオロ・マッツァリーノ著『みんなの道徳解体新書』
出版社:筑摩書房
発売時期:2016年11月
「日本人の道徳心の低下」を嘆く声はいつの時代にもある紋切型言説の代表例です。だから道徳教育を強化しなければならない。とつづくのもお決まりのパターン。パオロ・マッツァリーノは、1950年代にもみられたそのような意見を引いて「人間って、いつの時代もおんなじことをいってるんですね。とどのつまりが、少なくともこの60年間、日本人の道徳心にはほとんど変化がなかったということです」と冒頭で述べています。
戦後の民主主義的自由教育のせいで自由とわがままをはき違えた結果、日本人の道徳心が劣化した、とする意見に何ら具体的根拠のないことは少し考えればわかることでしょう。戦後民主主義以前の人々の方が現代人よりも道徳心が高かったといえそうな統計調査や研究報告などどこを探してもないのですから。
現代人が寛容さを失ったという、これまた昨今よく聞かれる声にも当然ながら首肯することはできません。
現代人は寛容さを失ったとする説には矛盾が多すぎます。そこで私はこう考えました。むかしの人は寛容だったのではなく、鈍感だっただけなのだと。鈍感だったから自分が傷つくこともあまりなかったし、他人を傷つけても平気だったのだ、と説明したほうが腑に落ちます。(p28)
通常、学問は進歩と改革を目的としている。ところが「道徳」は「なぜ」という疑問を許さない。それは「道徳」が進歩と改革を目的としていないから。すでに正解が決っている善悪の基準をこどもたちに押しつけて、基準をブレさせないようにすることが「道徳」教育の目的とされてきた。
「なぜ?」を禁止することでオトナたちはメンツを守ってきただけではないのか。あるいは道徳教育の強化を主張するオトナたちは、何らかのズルをして利益をあげるために道徳を方便に使っているだけではないのか。
そのように冒頭でブチ上げた著者が学校で使用されている道徳副読本を読んでその内容をバッサバッサと斬っていくところは本書の読みどころの一つです。ちょいと無理やりなツッコミもなくはありませんが、おしなべて切れ味の鋭い論評がつづきます。
たとえば、教育出版4年生用副読本で「新聞を読もう!」と呼びかけているのに対しては、何故新聞を読まなくてはいけないのかと真っ向から疑義を呈します。一昔前のニュース源といえば新聞しかなかった、テレビでもたいしたニュース番組はなかった、しかし今はニュースを知る手段はいくらでもある。
「現代人はニュースで溺れる寸前です。このうえ新聞まで読め? もうかんべんしてください」。
あるマンションで、ピアノを練習する音をめぐって隣人同士がもめ始めた。そこで管理組合の理事長があいだに入って互いのいいぶんを聞き、ピアノの置き場所を変えて、練習時間にも配慮することで両者ともに納得。その結果、以前よりもなかよくなれた。理事長はこの経験から、同じ音を立てても、仲のよい同士なら気にならないのだなあ、と考えて、マンション内でクリスマス会やバス旅行などのイベントを企画することにした……。
これは東京書籍6年生用の副読本にのっている話。この教材に対する著者の見解もふるっています。「もめているおとなりさん双方から話を聞いて、どちらも納得するような条件を模索する」までは「素晴らしい話」としながらも、後半は「ヘンテコな理屈」で、せっかくの成功体験から「誤った方程式を導き出してしまった」と指摘します。
「どんなに仲良くなっても、うるさいものはうるさい」はずで、「相手に文句をいわないのは、仲がいいのではなく、相手に気をつかってるだけです」と喝破します。「気軽に文句をいいあえる間柄を、本当の仲良しというのです」。
さらに著者は道徳の副読本に関して共通している問題点として「理想の家族しか登場しない」「樹木信仰」「歴史や数学を無視している」ことに加え、「自分の身を犠牲にしてだれかを助ける」ことを賞賛することにも批判を加えています。
「他人をしあわせにする代わりに自分がいのちを落とす自己犠牲を勧めるのが道徳的だとは、私には思えません。それはむしろ不道徳」といいます。「自分を殺し他人を生かすのはあくまで次善の策、窮余の策にすぎ」ないのだから「他人も生かし自分も生きよ」と教えることこそ正しい道徳だと言明します。
どのみち道徳などというものは、おしなべて理想論にすぎません。だったら、最高の理想を教えるべきでしょう。(p145)
一時期世間を騒がせた若者の「なぜ人を殺してはいけないか」という質問をめぐる考察なども下手な哲学的考察よりもよほど知的で、しっかりした読み応えを感じました。
保守派の論客として知られる加地伸行でさえ「道徳教育が成功した例は、世界史上、いまだにない」と述べているそうです。なるほど本書を通読して、道徳教育を声高に叫ぶオトナたちには政治的社会的な打算・思惑があるのだろうと考えた方がよいとあらためて感じさせられました。
ちなみに著者は「イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者」で「イタリアン大学日本文化研究科卒」と公式プロフィールにはあります。が、その大学の存在は確認されていません(笑)。
著者の道徳観に全面的に納得・共感できるわけではないけれど、何はともあれ全体にユーモアを感じさせる文体とあいまって、おもしろい本であることは確かです。