様々な視点から光をあてる〜『私にとっての憲法』
◆岩波書店編集部編『私にとっての憲法』
出版社:岩波書店
発売時期:2017年4月
憲法施行70周年にちなみ、53人の各界著名人が思い思いに憲法につい述べているアンソロジーです。政治・法律の専門家だけでなく、音楽家、俳優、芸人、演出家、映画作家、宇宙物理学者、医師、鍼灸師、作家、漫画家、経済人などなど人選はバラエティに富んでいます。
この種の憲法本には、護憲論にしても改憲論にしてもどこかで聞いたようなステレオタイプの言説がどうしても含まれてしまいます。本書もまたその例に漏れませんが、いくつか独自の体験や視点から憲法を論じたものには学ぶところがありました。以下、私が印象に残ったものについて紹介します。
南大東島出身の批評家・仲里効は憲法前文に頻出する「われら」には沖縄が含まれていないことを指摘して、憲法にまつわる「排除のシステム」に言及しています。
日本国憲法七〇年の歴史は、憲法そのものを日本国民自身が損ない貶めた歴史でもあったが、そのことは、国家の基本法であり最高法規である憲法の上に日米安保条約を置いたことによるところが大きい。(p33)
むろんこうしたことは「本土」の論者からも再三指摘されてきたことではありますが、安倍政権下ではそのような転倒は強化されこそすれ、改善される気配はありません。沖縄の人々が憲法とその運用に携わってきた人たちに疑惑の目を向けるのは当然でしょう。
劇作家・演出家の永井愛は、〈個人/政府〉という二項対立の危うさを指摘しています。一般にはその間に文字どおりの「中間団体」の意義を説く論者が多いわけですが、永井はそこにもまた一つの陥穽をみています。
憲法を語るときに、個人対政府のような対立項で考えがちです。でも、そうではなく、個人と国家のあいだには、学校が、報道が、そして職場がある。それらこそが、逆に、個人を、憲法で保障された権利と出会わせにくくしています。(p51)
個人と憲法理念との出会いを阻害するもの。その構造を読み解くことが求められるということでしょう。永井は政治やエリート主義の問題点を論じる前に「一般の人が働き、住む場所、空間、そこで何が起きているかということ、そこから考えたほうがいい」と提起しています。
小児科医の熊谷晋一郎は介護者の支援を受けている自身を顧みながら「暴力を受けないことは、基本的人権である。そして、暴力のない暮らしを実現するためには、潜在的な加害者も被害者も、依存先を分散する必要がある」と説きます。この主張の宛先が個人ではなく社会や政府である点が本論の肝といえるでしょう。みずからの体験をまじえた論考には説得力がこもっています。
同性愛であることをカミングアウトした元参議院議員の尾辻かな子は性的マイノリティの立場から基本的人権を考えます。少数派の生きづらさは、当人たちよりも「隠さなければ生きていけないと思わせる社会であり、憲法で人権を保障しているのに、実際にそうはなっていない現実」にあるという意見は正当というほかありませんが、昨今の日本の状況をみていると、日暮れて道遠しと思わないでもありません。
SF&ファンタジー評論家として憲法を論じる小谷真理の一文もユニークな観点を提示しています。「いまや、日本のSFアニメはクールジャパンと呼ばれて海外にも絶大な人気を誇る。民主的リベラルの象徴たる日本国憲法の概念と格闘しながら鍛えてきた想像力が、世界的に愛され咀嚼されている事実を、もう少し反芻し再検討して未来へ繋げる道を、いまのわたしは模索している」。
新右翼活動家として知られる鈴木邦男は、活動家学生時代の模擬国会討論で自分が護憲派の役割をつとめて改憲派をやりこめた挿話を語っているのがおもしろい。「自由のない自主憲法よりも、自由のある押しつけ憲法を」との主張を、さてかつての仲間たちはどう読むのでしょうか。
琉球民族独立総合研究学会理事をつとめる親川志奈子は、日本人は「押し付け安保」とは言わないくせに「押し付け憲法」とばかり言うことの欺瞞を指摘して鋭い論考を寄せています。
元衆議院議員の井戸まさえは、民法の「離婚後300日規定」により無国籍となったみずからの子供をめぐる実体験を紹介して、法の狭間に落ちこんだ少数派の人権について語っています。そうした境遇にある子供はごく少数だけにマスコミで表立って議論になる機会は乏しく、とても勉強になりました。
憲法は最高法規といわれるだけあって、やはり関心の持ち方は各人各様で、憲法論にも様々なアプローチがあることをあらためて認識させられました。その意味では多角的に憲法について考えるにはよき道標となる本かもしれません。
安倍政権下で改憲発議がなされるのかどうか、内閣支持率の急落でよくわからない状況になってきました。何のために改憲するのか明確でない昨今の倒錯した改憲論にはまったく共感も支持もできませんので、私には歓迎すべき状態になりつつあります。もちろん政局とは関係なく、国民投票がいつ行なわれてもたじろぐことのないよう、憲法についての見識を日頃からたくわえておきたいものです。