労働力ではなく人間として〜『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』
◆内藤正典著『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』
出版社:集英社
発売時期:2019年3月
国家を越え、地域を越えて移動する人間が増えてきました。それに伴うトラブルや衝突もマスコミを賑わすようになって久しい。ヨーロッパでは移民や外国人労働者に対して排外主義的な政党の支持率が高まってきているようです。
一方、日本では2018年に入国管理法が改正され、今後、外国人労働者の受け入れを進めることになりました。世界の趨勢に逆らう政策転換がなされたわけです。もっとも実際にはこれまでも日本政府はなし崩し的に受け入れを拡大してきたのですが。
日本政府は、表向きは外国人労働者を受け入れないと言いながら、手を替え品を替え、いろいろな在留資格を与えることで、外国人労働者を増やしてきたのです。そのため、今になってみると、在留資格とそれによる職種が、ひどく複雑になっていて、どの仕事をするにはどの在留資格が必要なのか、一目ではわからなくなってしまいました。(p95)
このような状態で日本の社会は外国人たちと本当に共生できるのでしょうか。そもそも外国人労働者、移民、難民とはそれぞれどういう存在なのでしょうか。
外国人労働者とは文字通り、海外から働きに来る外国人のことです。ずっと住み続ける場合には「移民」、比較的短期で働きに来る人を「外国人労働者」ということが多い。外国人労働者には、いろいろと条件がつけられるのが一般的です。ただ国際法上は移民に関する定義は存在しません。日本の法律にも「移民」という用語は出てきません。
一方、難民は国際難民条約で具体的に定義されています。ひと言でいえば「命の危険から、国境を越える人」をいいます。特筆すべきは、難民にはノン・ルフールマン原則が適用されることです。「難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制的に追放したり、帰還させてはいけない」というルールです。
日本は難民の受け入れに消極的だと海外から批判されてきました。また外国人労働者については上述したように表向きの言い分とは裏腹に、もっぱら産業界のニーズに応える形で受け入れてきたという経緯があります。
日本の法制度の問題点は、日本に入ってくる、その入口と出口を管理する法律しか存在しないことだと内藤は指摘します。入ってきた後、どう処遇して、どういう権利を認めるかについては何の法律も整備されていません。ゆえにこのまま外国人労働者が増えてくると「地方自治体に途方もない負担となっていくはず」と警告しています。
ただし本書が興味深いのは、そのような悲観的な話に終始するのではなく、後半では市民レベルでイスラムを含む外国人との付き合い方を具体的に示している点です。「あるものを食べない、飲まない人たちに、「どうして」としつこく尋ねない」「仕事が終わった後に、飲み会や食事会に誘わない」などなど。ちなみに後者については「世界には、家族の絆を重んじる人も多いので、仕事が終わってから職場の人間と集まる日本の光景は、理解できない人も多い」と解説しています。
日本の対外国人政策の欺瞞を政治家だけに帰責することはできないでしょう。本書を読んであらためて国民の思考停止がそのまま政治にも反映しているだけとの思いを強くしました。
日本にやって来るのは労働力ではなく人間である──。本書で強調されているその事実は、何度繰り返しても繰り返し過ぎることはないでしょう。あたりまえの事実をあたりまえに受け止めることができないのが残念ながら日本社会の現状ですから。
人の移動をめぐる世界の政治状況を広い視野から論じるのと同時に、身近な生活レベルでの助言を合わせて提示しているところに著者の美点があらわれているように思います。