本質に、直結する支援が欲しかった。(過去形?笑)

明るい不登校関連の盛り上がりは、やはり必要な人には必要だと思う。エンタメ要素はやはり力にもなるから!

ただ、やっぱり対処法でしかないことが多い証拠として、アンバランスなビジネスがはびこる。
もちろん、大きく見てビジネスは大切で、バランスがとれればよいのですが…

例えば事故に合ったとか、職を失ったとか、意図しないことが起きたとき、私たちは保険会社とか専用の窓口に相談すると思います。保険や税金は支払っていますしそういう仕組みがあるから違和感なくヘルプが出せます。

でもそういう時に事務的な対応されたり、ただの共感で終わったり、自己責任で何とかがんばれ!とか言われたら、

傷ついた気持ちがよりシューンとなるし
怒りがわいたり、下手したら自己嫌悪が増したり、
私ならしそう。元気な時ならいいけど、マイナスの時はとくに。

逆に、しっかり参考情報を聞けたり、具体的に欲しいタイミングでアドバイスがもらえて繋がったり、継続的にケアしてもらえたりしたら

辛かったけど学べたなーとか、入っていてよかった、
不安だったけど安心した、相談して良かった、
頑張りすぎずに頼れた、こんな経験も無駄じゃなかったなと、早めに切り替えて回復しやすいです。


そんな、情報を含むメンタルオピニオン的な存在が
【家族で大打撃をうけやすい不登校という現象】にも、「当たり前に」必要だと感じてきました。

きっと、私が子どもの頃から欲していたな。
ずっと家にいるしかなかった妹が信頼できたのは、本当に何年も親身になって寄り添ってくれた、本人は行きもしない学校の、1人の忙しい先生だけでした。
公的支援、専門家も今でこそ繋がっていますが、当時は溶かすことが誰もできずに拒否でした。

実際、不登校ってまだまだ分かりにくい。
だったら当事者に聞いてよ、または当事者が動くか、となる時に

傷ついた人たちはエネルギーも少なく、お子さんケアのため離職しないといけなかったりするし時間もない。
でも具体的に困っていないと何をしていいのか、誰に聞いていいかピンとこない。。
これは他のどんな当事者にも通じることと思います。

不登校の場合はどの管轄に?が難しいから、作りづらい。

また自己責任で回復したり、切り替えてこれてしまった人だと、強いし、自分から繋がったり創ったりしてゆけるから(私も無理くりそっちだけど、^^; かなり無理しつつ)
自分で決められるはず、きっと元気になるし、みんなも自分で頑張って!って思いがち。実際経験者の声は励みにはなる。

けど、当たり前だけど、みんな違う。

生きてきた環境や受けてきた傷によりダメージが全く違い、自分はそれが出来ない…となった時、更に傷を追う。


心や脳についた傷は見えなくて、なかなか取れてくれない。

うまく判断が出来なくなる人もいるし、
子どものタイプによっては塞ぎ込み籠るし、
依存傾向が強くなっていると長く影響するし、
自ら考えることが辛くなる。

それは、やはり社会の構造が出してしまうものです。

恐れや不安から、相談するまでとてもじゃないけど出来ない人もいるし、全く自覚が持てない人もいます。


なぜそうなってしまうのだろう?
どんなケアが役立つのだろう?
というところまで想像を巡らし、

分解して代弁して伝えて、寄り添いながらも客観的にサポートして、それでもすぐなんて無理だからゆっくり関わり変わっていける関係性を継続的に、信頼を積み重ねながら続けて、そしてどんな人の目にも入るように…


って、簡単に作れない!

そんな中でも子ども達は成長していくから、
やれることをやらないとならないし、私たちは動く事で不安を消してゆく。

だからこそ、ぶり返さないように本質を見ていきたいけど、なかなか伝わる世界はない。。

もちろん先は誰にもわからないのですが、でも対処法は下手したら長引いてしまいます。


違和感をひとつひとつ紐解く作業が、
まず自分自身を深く癒し、理解し、子どもとの関係を見直し、構築し直すことにつながっていくとは感じます。


ただ、大切な部分は残念ながら目には見えない。残念ながら八方塞がり感です。

そんな中でも、せめて自分を外から眺めてみる客観性、大切にしてほしいと思っています。


(客観視したら絶望感しか生まれない、一気に体調崩す、落ちてしまうから見たくない人も沢山いると思うけど!でも崩れてENDではないし、その先が意外と楽しくて生きてる人もいるかもしれないし、ということを安心の中で経験できるといいのかのしれないよね。)


月1回交流会や相談会をランダムにやっております。






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