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つくるよろこびを売る。

モダンデザインが萌芽した20世紀初頭から100余年が過ぎた今、デザインの機能はひろく大衆に認識され、デザインを武器に社会で活躍する人も飛躍的に増えました。

今現在、日本でどのくらいの数のデザイナーがいるのでしょうか。
およそ4〜5年毎に発行されている(今年あたり新版出るといいな)「デザイン政策ハンドブック(2020年版)」によると、デザイナーの統計総数はこのようになっています。

デザイン政策ハンドブックp67より引用

2015年の国勢調査ですのでかなり古い結果ですが、総計19万人。2005年から5年ごとの伸びをみると、男性に比べて女性の伸びに勢いがあることがわかります。全体で5年あたりおよそ2万人程度のペースで伸びているので、今年はここから4万人弱の人数以上は増えている可能性があり、これを加味すると今の日本のデザイナー人口は20万人以上と推定してもよいかもしれません。

デザイナーは過去のイメージにあったような特別な才能の持ち主しかなれない仕事ではなく、なることも関わることも珍しくない専門職の一つになりました。
加えてデザインの技法は教育機関や企業だけにとどまらず、書籍やインターネットなどを通じて広く共有され、狭い職人の世界で閉じていた「感覚の世界」ではなく、広く共有され多数の人によって増築されていく情報資産となりました。
僕が主に所属するグラフィックデザインの世界は、まだまだ属人性(個人にたよる傾向)が高く、感覚的・身体的な傾向が強いですが、同じ平面でもWEBやUIデザインではデザイン技術が工学(エンジニアリング)化、体系化されており、チームでの知識の共有や積み上げも効率的に進んでいるように思えます。

知識の共有が進むと、合格点を出せる品質のデザインが広く世に浸透します。これはこれでとても良いことではありますが、同時に「デザインのコモディティ化」が起こります。デザインが類型化して、差がつきにくくなる。これが進むと、デザインの品質では差別化できないため、価格を基準に発注が起こる(=同じような品質なら安いところに頼む)ことになります。

生成AIの進化もおそろしい勢いで、このコモディティ化に拍車をかけるでしょう。デザインの成果物だけを価値と考えるなら、その価格はどんどん下がっていくことが予想されます。ネットワークを通じた「つくりかたの共有化」が作り手である人間の首をしめていくわけです。

そんな傾向の中、つくることを仕事にしていくことに幸福な未来はないのでしょうか。デザイナーは今後どのようにふるまっていけば良いのでしょうか。

一つの手がかりとして、これからのデザイナーが売るものはデザインの成果物(つまりチラシやポスター、WEBサイトなど)だけではなく、むしろ「体験やプロセス」に重点が置かれていくのでは、と僕は思っています。デザインを通じて消費者(お客さん)が価値ある体験をする、これはコミュニケーションデザインでも、ユーザー中心デザインでもよく聞く当たり前の話です。ここで提案するのはもっと直接的な体験、つまり「クライアント(デザインの発注者)が何を体験するか」ということに比重を置くということです。

日々デザインの仕事に精を出されているみなさんなら、とっくに気づいているはずです。「ものをつくることはそれだけで楽しい」ことに。この創造の喜び・体験をクライアントと共有するのです。クライアントの多くも、創造を潜在的に楽しみたい同じひとりの人間と仮定してみます。デザインの発注をデザイナーに投げることではなく、デザイナーとともにつくりあげることだと啓蒙していくことが大切だと思っています。
(もちろん乗ってこない人もいらっしゃいます。相手を見て仕事のプロセスを変えていくこともデザイナーの仕事です。)

例えばデザイナーが複数のデザイン案を提案したあとでの「案の選択」は創造の大切なプロセスであることを強調します。実際にそのとおりでしょう。何を基準にデザイン案を選んだか、どのような考えをもって評価(あるいは棄却)したかは、デザイナーであるあなたがふだん写真やフォント、色を選ぶのと全く同じことではありませんか。案の選択はとても重要でクリエイティブな工程だと思いますが、クライアントはそのことに意外と無自覚です。

デザインのPDFをメールでただ投げるのではなく(この投げるという表現もあまり良い言い方ではありませんね)、案を選ぶための会議を予定してみます。「案の決定はとても創造的な作業です。だから多数決で選ばず、一人一人がなぜこの案を選んだか言葉にしてみませんか」という投げかけをデザイナーがしてみるのも面白いイベントになるのではないかと思っています。

実際にいくつかのプロジェクトで僕はこのように「案を選ぶ会」を開いているのですが、うまく言語化した人を会議メンバーみんなで称賛したり、建設的な提案を重ねていくと、参加する人たちの情熱の高まりを感じることができます。だって「つくりあげていくことは面白い」からです。

デザイナーはときにはデザインの作法や技法について、クライアントに共有し、なぜこういったレイアウトになっているのか、なぜここに余白が確保されているのか、なぜここが(あえて)ずれているのか、などを説明していくことも必要かもしれません。デザインを議論するためにはデザインに関する前提知識も必要だからです。

そんなことをしてしまうと、デザイナーのノウハウが共有化されてしまい価値がつかなくなるのでは、と心配された人もいるのではないでしょうか。大丈夫です。もともとネットワークやAIによって、単発のノウハウの価値なんて多かれ少なかれ、いずれ消滅してしまうからです。だからこそ、成果物と同等に体験をつくりあげ売っていく必要があると考えています。

「ともにつくる」価値を共有し、体験してきたお客さんはそのデザインに関する「理解と関与度」が高まっています。そうなればもうそのデザインをひっくり返すことに抵抗感を感じるはずです。だって、その成果物は「可愛い我が子」ですから。デザイナーに対し依頼された制作物のことを「作品と呼ぶなかれ」とは正しい戒めですが、僕はクライアントを巻き込めば、ある種クライアントの作品(デザイナーとの共同作品)という呼び方をしてもよいのではと考えています。

別の言い方をすると、デザインについての知識が共有資産となっていく時代、デザイナーの一つの大きな生存戦略が「ファシリテーターとしてふるまう」ことだと考えています。場をつくる、対話をつくる、関係性をつくる。これは今のところAIに生成させるのは困難なことでしょう(AIを材料・ツールとして有効活用することは充分に考えられます)。「たのしく共創する」体験は、クライアントがそのデザインを愛し、育てていくことにもすんなりと接続していきます。

さて、これまでのデザイナーとはまるっきり違うことを求められている、とお思いでしょうか。

僕はそう思いません、構造を観察し、材料を集め、要素を洗い出し、それぞれの関係性をつないでいく、関係性による新しい価値をつくっていく。これはみなさんが例えばレイアウトやワイヤーフレーム設計などでさんざんやってきたことではありませんか。

だれかの体験をつくりだすことは、おそらくデザイナーがこれまでやってきた作業や活動の相似形です。

小さなレイアウト作業をやっている中でもひたむきに働かせてきたあなたの頭脳を、少しずつ別の場所でも働かせていきませんか。


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