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自分のルーツを探る
自分の過去をしっかりと記憶していて話せますか。
アダルトチルドレン(以下、ACと書きます)の特徴として、幼少期の記憶がすっぽりと抜けているということがあります。
私自身もその一人で、カウンセリングを受けながら思い出した過去を少しずつ確定したものとして受け入れられるようになりましたが
最初の頃は思い出したとしても、事実を捻じ曲げて記憶をしていた状態でした。
こうに違いないと思っていたことが実はその真逆だったりすることが、AC界隈では多発しています。
私自身のことになりますが、小学生の時に母親を病気で亡くしていまして。
その後、カウンセリングセッションを受けてから数年経つにいたるまでの数十年間のあいだ、私は母親が大嫌いだと思っていました。
お母さんは嫌いだったからいなくなってせいせいした!とセッションで堂々と言い放っていたのです。
客観的にみれば、お母さんが死んで嬉しいって思ってるなんて変ですよね。
(機能不全家族で「親がきらい」は起こりうることですが、ここではそれは置いといて。仮にそうだとしても、どんな仕打ちを親から受けても子どもは親を慕い愛されたいと心の奥底で願っています。)
私は嫌いだった母親の話を少しずつセッションで話すようになりました。
話すことで更に記憶が出てきて、キッチンで母親が料理をする後にくっついてまわり、俵おにぎりを作ってほしいと甘える自分の姿が思い出されました。
そして、ひとつ良い記憶がでてくると心の器が広くなり、嫌だった過去の記憶も出てきてそれが受け入れられるようになります。
そういうことを繰り返し、私は数十年間他人に話したことのなかった母親の死ぬ間際の記憶が鮮明に出てきて、それをセッションで話すまでに至りました。
その後、私は今でも母親が帰ってくることを待っている自分に気づき、いえ、帰ってくることはないとわかっています。でも心の中のファンタジーで母親を待ち続けていたんです。
そしてもう会えないんだとわかり、セッション中に大泣きしてしまいました。どうして死んでしまったの?と子どもの様に泣いてしまいました。
何十年もの間、母親を嫌いだと思い続けていたのは、死んだ悲しみを受け入れることが出来ない自分を守るための方法でした。
でも、母親が亡くなったその時に、そばに抱きついて悲しみを出せる大人が周りにいたのなら、こんなに何十年も持ち越すことはなかったんだろうと、どうにもならない嘆きも共にありました。
ACの、自分で行う記憶の操作は自分を守る為とはいえ、そのままでは自分の正しいルーツを知ることも出来ず、自分自身を取り戻すことはできません。
そういった意味では専門的な人の外部の力を頼る方がいいと私自身も実感しています。
相手の些細な言動から真実を見つけ見落とすことなくすくえる力のあるカウンセラーさんは、そう多くないと思っています。
でもそのようなカウンセラーが必要とされているはずです。
今の自分がどこから来ているのかを カウンセラーさんたちと何年もかけて探っていく中で、クライエントさんは今現在の困りごとや悩みにかこつけながら子ども時代の自分の顔を出すことがあります。
一見、今起きている問題を解決すればいいようにみえますが、カウンセリングでは、そこを問題とする自分の思考はどこからきているのかということを具体的に掘り下げていきます。
それを何度も何度も、根気よく繰り返し、点と点がつながり線となった時、さきほど書いた私自身が記憶を取り戻したようなことが起きたりします。
それはひとつだけじゃなくて、生きづらさを抱えているほど多い作業になります。ですが、だれもが自分次第でやり遂げられることでもあります。
身近なもの、例えば自分が好きな食べ物や嫌いな食べ物、「これ好き~」「これきらーい」で終わりにしないで、
いつから好きだったんだろう?ってちょっと考えてみるといいかもしれないですね。
楽しい記憶がでてきたら、自分のルーツのひとつとして心の財産になります。