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映画日記「関心領域」

どんなに特殊な状況であっても、それが生まれながらの環境であったり、長期的に続くと、背景と化していく。人生の主軸となるのはあくまで自分が関心を持ったことだけ。関わらなくていいことはシャットアウトすればいい。

特殊なのはアウシュビッツ収容所の隣に住んでいるという環境だけで、登場人物が特別酷いことをしているようには思えなかった。なぜなら、現代でも似たようなことは日常的に起こっている。ただ、収容所の隣というだけで、「無関心」と「関心」の境目が残酷に炙り出されているだけ。
隣なのに無関心なのがいけないのか?じゃあ遠く離れた場所に居て無関心なのは許されるのか?
いじめならいいのか?誹謗中傷ならいいのか?

一方、時を経て人々の興味の対象となっている。その出来事自体を知ることは大事だし、アウシュビッツの博物館や広島の平和記念資料館などは残すべき施設だと思う。だが、無関心の対比として出てきているようで、もはや皮肉でしかない。その時すでにその人は居ないのだから。リアルタイムで関心を持つこととは全くの別物だ。

人間の自意識の縮図を見ているようで、自分はどうだろうと考えさせられる。
人に目を向けられないから自意識に溺れていく。
自分に批判的でいることも、ある程度必要だ。

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サウンドトラックはドローン音なのだが、収容所から薄っすら聞こえる拷問の声がドローン音と混ざり合い、終始不穏な空気を作り出していた。そのうちドローン音が悲鳴ように聞こえてくる。

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