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【変な隣人⑤】内定取り消しからプロレスラーとして生還した男(2浪+2留)

こんにちは。ろんです。

今回も、私の周りにいる変な友人について、紹介したいと思います。

「この1年、社会人になるための準備として、何を考えどのように行動してきましたか?」

遡ること1年前、彼は2浪1留ながら自慢のコミュ力(?)を発揮し誰もが知る上場企業から内定を得ました。
最後の大学生活を謳歌していたある日、悲劇が起こります。
2留目が決定するのです。

                                         教授とのやりとり(成功例)

ある教授に限っては、成績開示前に教授にDMを送って泣き落としするいつものやり口が通用しなかったのです。身から出た錆でした。

すぐに内定先の企業に連絡すると、1年後また(特別ルートで)選考すると言われ、その年の内定は取り消しに。それでも単位の取得状況等、引き続き人事部と連絡を取り合うことで合意しました。

翌年、約束通り最終面接に呼ばれました。
役員数名が見守るなか、冒頭の質問がされました。

「この1年、社会人になるための準備として、何を考えどのように行動してきましたか?」

彼は上手く答えられませんでした。

この1年、何もしていなかったからです。
卒業に必要な単位を取得できる目途がついてからは、風呂に入らずにパズドラをし、父親のクレカで合コン三昧していました。
握手会のつもりで臨んだ最終面接に、これまでのように嘘で塗り固めたエピソードすら用意していなかったのです。

最終面接の結果は落選。

彼は茫然としていました。
1年待ってくれた相思相愛だと思っていた企業から、あっさりフラれました。
もう今年度の就活は佳境に突入していました。

それでも立ち上がるしかありません。
遅れての就活スタートとなりましたが、日経225に指定されている企業の中で、前年受けていない企業かつESの締め切りが来ていない企業を抽出し、ローラー作戦を実行します。

それでも+4年のハンデを背負った就活がいかに困難かは、歴史が証明しています(変な隣人①参照)。なんとかESを突破し面接までたどり着いても、並みの自己PRでは即不採用です。特別なスキルも理由もなく、現役ストレートや1浪している学生よりも、2浪+2留している学生をわざわざ選ぶ企業などどこにもないのです。


彼は人生をどこで間違えたのでしょうか。
元々、かなり頭の良い大学の附属校(男子校)出身でした。成績優秀で、そのうえ面白くクラスの人気物でした。先生や周囲の友達に勧められて東大を目指しました。
それがレールから外れたきっかけでした。

周囲が遊んでいるなかひたすら受験勉強の日々。しかし、現役合格はできませんでした。これまでの努力や、周囲へ東大合格を公言していたことから引くに引けず、内部進学せずに浪人することにしました。

1浪目、失敗。
内部進学できた大学を考えると、滑り止めになるような大学は多くありません。

2浪目、失敗。
ここで見切りをつけ、東大合格を諦め、行くはずだった大学より偏差値の少しだけ高い大学へ進学します。

この挫折経験が、その後の彼の人生に大きな爪痕を残しました。

大学入学後、抑圧されていた承認欲求が爆発します。
ジャンルを問わず何種類もの新歓に毎年出没し、女の子にアプローチ。そして夏前には幽霊サークル員となるのです。

知る限りでも、テニスサークル3つ、オールラウンドサークル2つ、フットサルサークル2つ、お笑いサークル、演劇サークルに在籍していました。

東大を目指した過去を拭い去るため、青春を取り戻すため、カメレオンのように七変化し、女の子に忍び寄りました。ある時はバンドマン、ある時は関西出身で吉本のNSC生、相手の好みに合わせて架空の人物に憑依します。間近で見ていて、人はこんなに平気で嘘をつける生き物なんだと思わされました。


就活に苦戦し、多忙を極める彼に久しぶりに会うと、ジムに行けてないからか彼の身体はタプついてきていました。

「プロレスラーみたいな身体になってきたね」

思わず心無い言葉を浴びせてしまいました。

「その設定使えるかもしれない」

私の言葉に着想を得た彼は、学生プロレスに夢中でうっかり2留してしまった架空の人物に憑依して就活に臨むことに決めました。

無論プロレスの知識があるわけではないため、映画『ガチ☆ボーイ』を頼りに想像でエピソードを作りました。就活において多くの学生が”盛る”ことはあっても、0→1を生み出すことは可能なのでしょうか。

蓋を開けてみると、プロレスネタは中年のおじさんに大ハマり。
序盤の面接では設定が甘く、最終的にいくつかの企業から落とされたものの、その度にエピソードをブラッシュアップしていきました。

学生時代はプロレス研究会に所属し、毎年学園祭のステージで披露していた。自分たちの代には学生プロレス連盟の幹部を務め、関西の大学と東西タッグトーナメントを企画した。テスト期間中の関西への遠征等で単位を落とし留年したが、プレーヤーとして、リング解説として、裏方として、最後まで後輩たちを支え、精力的に活動した。

自己PR

「得意ワザは、何だったの?」

プロレス好きのおじさん達は、興味津々。

〇〇スープレックス、〇〇サルトは実演できないので、苦渋の選択で、

「ストンピングです」

と、踏みつけるマネをすると、これがまた大ウケ。

相手の腹部などを大袈裟に振り上げた足で体重をかけて踏みつけ、さらに大声で怒鳴りつけながら相手を踏みにじる。

ストンピングの説明

結局、前年度の企業よりワンランク下がりましたが、見事3社から内定を勝ち取ります。

転勤がないという理由でそのうちの1社に決め、貴重な文系職として、人事部長をトップにした彼のための祝賀会が開かれました。

会の終わりに紹興酒で盛大に祝われた彼とガストで待ち合わせ、いつものようにドリンクバーでだべっていると、20分も絶たないうちに彼は寝てしまいました。
床に置いていた就活用バッグから、プロレスの小ネタが書き込まれた100枚はくだらない量のA4用紙が見えました。

きっと不安だったんだと思います。
就活というリングに未経験者として上がり、百戦錬磨の人事相手にプロレスを仕掛ける。そのプレッシャー足るや想像を絶するものがあります。
実際のリングには上がらずとも、彼は正真正銘のプロレスラーになったのかもしれません。


入社後の彼は、新人としては異例の国際営業部に配属され、入社翌週にはアラブ人一行の東京出張のアテンドを任されました。

彼の上司は兵役を終えたばかりの韓国人。厳しい指導で昼食を取る暇もないでそうです。

因果応報。学生プロレスに飲めり込む傍ら、独学で英語と中国語は話せるようになったと豪語したのはほかでもない彼です。

そんな苦労の甲斐あってか、体型は元に戻りました。

体型はスリムになっても、持ち前の”プロレス魂”を発揮してこれからも周囲を楽しませてほしいです。

世の中には自分の価値観では想像できない人がたくさんいます。
自分の人生、他人と比べることなく後悔ないように生きたいです。

以上、私の周りにいる変な友人について紹介しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

ろん

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