忠恕一貫...まごころ(忠)からなるおもいやり(恕)
子曰(のたま)わく、參(しん)や、
吾が道は一(いつ)以(もっ)て之(これ)を貫く。
曽子(そうし)曰わく、唯(い)。
子(し)出ず。門人問うて曰わく、何の謂(いい)ぞや。
曽子曰わく、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。
(里仁第四、仮名論語四三頁)
先師(孔子)が言われた。
「参(曾子の名)よ、私の道は一つの原理で貫いている」
曾子が「はい」と歯切れよく答えられた。
先師は満足げに出て行かれた。
他の門人が「どういう意味ですか」と問うた。
曾子が答えられた。
「先生の道は、まごころ(忠)からなるおもいやり(恕)だと思うよ」
「令(うるわ)しく和らぎ生きる」を希(こいねが)う「令和」の現代。
団塊の世代の我々は三代に亘ったということで、
何か急に老いが進んだ感じがしないでもない。
振り返ると「地平らかに天成る」との「平成」の時代は
命名の思いとは隔たりのある、
地震(ふる)い天陰(かげ)るという印象をぬぐえない。
自然に恵まれた「豐葦原(とよあしはら)千五百(ちいほ)秋(あきの)瑞穗(みづほ)之(の)地(くに)」と称される日本は、反面、自然の脅威もまた大きい。
昭和時代の自然災害では、
青函連絡船の洞爺丸を沈め、
伊勢湾沿岸に高潮で甚大な被害をもたらした
「台風」を思い起こす。
襲来に五年を前後して奇しくも同じ十五号の台風であり
九月二十六日の事であった。
しかし平成時代の災害では、「地震」が記憶の大半を占めている。
阪神・淡路大震災であり東日本大震災である。
その後も熊本地震と北海道胆振東部地震などが続いた。
上皇陛下は平成三十一年の御誕辰に
「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べておられる。
戦後世代の昭和にあっても、
米ソ冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争等の「戦争」は打ち続いた。
平成においては、オウム真理教の地下鉄サリン事件、
アルカイーダによるアメリカ同時多発テロ、
シャルリー・エブド襲撃事件、
ISによるパリ同時多発テロ等々が頻発。
平成最後の春も、スリランカ連続自爆と「テロ」が止まらない。
昭和と平成の時代の変わりを、思いつくまま事象で列挙してみたい。
・「広島・長崎」の原爆と「フクシマ」原発。
・「アインシュタイン博士」と「ホーキング博士」
・「米ソ軍拡競争」から「米中貿易戦争」
・「ジャパン・アズ・ナンバーワン」から日本の「失われた二十年」
・漫画「鉄腕アトム」とアニメ「風の谷のナウシカ」
・月面探査「アポロ」と小惑星探査「はやぶさ」
・「おしん」と「あまちゃん」
・「チッキ」から「宅急便」
・「テレビ」から「スマホ」
・「百貨店」から「アマゾン」
上皇陛下はかつて記者団から
お好きな言葉をと問われて
「忠恕」をお挙げになられた。
『論語』里仁篇の「夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」からの言葉である。
皇太子時代に東宮御教育常時参与小泉信三から教わり、
心に刻み付けたとして
「自己の良心に忠実で、
人の心を自分のことのように思いやる精神です。
この精神は一人一人にとって非常に大切であり、
さらには日本国にとっても忠恕の生き方が
大切ではないかと感じています」
と述べておられる。
上皇陛下が御心に刻まれた「忠恕」は、孔子が貫かれた道である。
時代が変わっても変わらないものがある。
この『論語』の真髄である「忠恕」を
世代を越えて繋いでいきたい。
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