生きること、学ぶこと
大学の役割は研究と教育と考えていたが
〜学生の教育は副次的な重要性しか持たない〜
学問の研究が、大学にとっての第一義的な意味を持つ。学生の教育は、副次的な重要性しか持たないことを強調しておく。ジョン・デューイのリベラリズムの流れを汲むソーステン・ヴェブレンや宇沢弘文の考え方である。(学校教育については、デューイ「学校教育と民主主義」は対照的な考えである。)
宇沢の晩年のゼミ生であった松島齊「サステナビリティの経済哲学」は、ゲーム理論と情報系経済による「コモンズの悲劇」の解決提案をしているが、何か違和感を感じた。
玉野井芳郎「エコノミーとエコロジー」、斉藤幸平「コモンの「自治論」」、中村桂子「いのち愛づる生命誌」などとは異質のものを感じた。宇沢ゼミに入ったが本当に学びたかったのは二部門理論など数理経済ではなかったのだろうか。
そこで改めて、新古典派経済やケインズ経済学の問題を指摘した、ジョーン・ロビンソンの「経済学の第二の危機」の持つ意味について考えた宇沢に戻ってみたいと思った。ロビンソンは、分配の公正、貧困の解消の本来の経済学の理論的枠組みの新しいパラダイムの形成が必要であると、主張した。宇沢弘文「社会的共通資本」を読む。
教育が社会共通資本の重要な要素であるのだが、その前に大学とは何かについてのヴェブレンや宇沢の指摘を読み、今自分があまりにも平凡に大学の役割は研究・教育・地域貢献が当たり前と考えていたことの思考停止状態にショックを受けた。
ヴェブレンは「アメリカにおける高等教育」で、大学の位置付けについて述べる。
社会は、真理(esoteric)としての知識をどれだけ蓄積しているかが大切である。この真理の知識の価値は、それ自体としてのものであって、物質的な意味は何もない。様々な分野の専門家たちは真理を探究する。その結果がその文明組織の特質を表す。
大学もそうした組織の一つであり、2つのことを探究する。
・idle curiosity ひたすら知識追求に興味を持つこと(自由な知識欲)
・instinct of workmanship 職人気質
どちらも、効用や利潤などは求めていない。
知識探究のみを行う場として大学の本来の存在理由がある。
1960年代のヴェトナム戦争から、アメリカの民主主義は変容していく。デューイのリベラルな教育も忘れ去られていく。1970−80年代半ばは、反ケインズ主義で、新古典派経済学に戻る。社会は、マネタリズム、サプライサイド経済、合理主義、合理的期待形成ばかりである。レーガン、サッチャー、中曽根の時代である。
大学は法人資本主義の世界に存在しているので、こうした社会の変容に対応していかないと存続できない。
そこに法人企業の支配的基準を大学に持ち込んでくる。
知識が金銭的なものをどれだけ生むかという市場的基準が導入され、研究者は、売れる知識と学生を何人教育したかで評価されることになる。
学生の教育は副次的なものであるが、さらに法人企業は抑圧的、官僚的なヒエラルキー社会に適合できる学生の教育を求める。白人資本主義が求める人材を再生産しているのが大学になってくる。(ボウルズ=ギンタス「アメリカ資本主義と学校教育」)
抑圧と不平等の根源は、資本主義経済の構造と機能の中にある。
大学がビジネスマンによって管理され、運営されることになった。これをヴェブレンは嘆いた。そもそも、経済学の目的は、貧困の解消、分配の不公平への是正にある。河上肇は、経済の目的は富そのものを求めるためではなく道を開くためである、ことを強調した。(「貧乏物語」)
振り返って日本の大学を見ると、この事態は何らアメリカと違いはない。特に「様々な分野の専門家たちは真理を探究する。その結果がその文明組織の特質を表す。」ことが全く見えてこない。
戦後の日本の学校教育は、経済成長のための労働力の提供という仕組みを作り、文化的、社会的、人間的観点から、殺伐な俗悪なものとなってしまった。
悪辣な受験制度がその象徴である。憲法13条から逸脱している。その結果、大学では、研究の場でも、真理の追究よりも、国の政策アジェンダを後追いするようになる。高等教育が「学究の場」から「共創の場」へと、変わってきたためである。ヴェブレンの危惧は現実となった。