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私の母が「毒親」を自称している話
「あんたがそんな風に悩んでしまうのは、全部お母さんのせいだから。」
私は、うつ病です。
正式に診断されたのは昨年1月。
うつ病の症状自体は二年前から繰り返していましたが、薬物療法とカウンセリングで現在はほぼ寛解しています。
うつ病の私を支えてくれたのは、他でもない、遠くの田舎で暮らす母でした。
私はうつ病を抱えながら仕事をしていた時、
・頭が回らなくなってしまったこと
・行き帰りの道で泣かずにいられないこと
・もう死んでしまいたいこと
をよく母に話していました。
心配を掛けたくないと思う気持ちもかつてはあり、うつ状態のことも隠していました。
しかし元々似た者同士だったことと、母がとても聞き上手だったこともあり私はすっかり安心して自分をさらけ出すようになったのです。
人に頼るのが元々苦手で、母にしか相談することが出来なかったというのも大きいでしょう。
とにかく母は私の話を、時には親身に、時には適当に、でもどんなときでも聞いてくれました。
そんな母はよく、うつ状態の私にこう言いました。
「あんたがそんな風に悩んでしまうのは、全部お母さんのせいだから。」
「私は毒親だからね。」
とくに深刻な様子も無く、なんでもないことのようにぽつりとそう言うのでした。
私は言いました。
「そりゃあ、たまに理不尽に怒られたときはイラッとすることはあるけど、私はお母さんのこと『毒親』なんて思ったことないよ。」
私は母が好きでした。
母は毒親どころか、うつ状態の私に理解を示し、話を聞いてくれる唯一の存在でした。
感謝してもしきれないくらい、救われているのに。
どうして自分で「毒親」なんていうんだろう。
母は「毒親」を自称することを大して気にもとめてないように見えました。
昔からつかみ所の無かった母ですが、このときも何を考えているのか、よく分かりませんでした。なんでもないように振る舞っていたので、この日は私もそれ以上深く聞くことはありませんでした。
――もしかして、私がうつ病なのを自分の育て方のせいだと思っているんだろうか。
私がうつになってしまった原因は、社会に上手く馴染めなかったこと、仕事で失敗を繰り返したこと、そして多忙によるストレスでした。
余計な心配をかけすぎてしまったな・・・。
母を思い悩ませてしまったと思った私は、娘として申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。
「わたしのうつ病はお母さんのせいじゃないよ。」と言おうかとも思いましたが、母は自分の考えをなかなか曲げない人間です。
不用意に言い出すことも出来ず、相変わらずつかみ所の無い母とは裏腹に私の気持ちはさらに沈んでしまいました。
――お母さんのためにも、早く元気にならないと。
そんな焦りと反比例するように、わたしの体調不良と抑うつ状態は日を追うごとに悪化していくのでした。
ー
「ちょうど妹が産まれた後くらいのときに、お母さんあんたにいっぱい酷いことしたの。」
電話をしていたとき、母が唐突に話し始めました。
私がうつ病によって退職し、寛解し始めていた頃です。
妹が産まれた直後、ということは私が5歳くらいの時です。
「わたし覚えてないよ。何があったの?」
(妹に嫉妬してちょっと意地悪してたのは覚えているけど。)
母は続けました。
「妹が産まれた後で、お母さんも余裕が無くてね。
それを全部あんたにぶつけてたの。
上手くいかないこと全部あんたのせいにして。
着替えが出来なかったり、準備が遅かったりしたら、必要以上に怒鳴って酷いことを言ってあんたのこと責め立ててしまったの。」
母は、あの時のあんたに謝りたい。と続けました。
私は当時のことを全く思い出すことが出来ませんでした。
しかし母は相当長い間、このことに罪悪感を感じていたようでした。
母はいつも通り、なんでもないことのように明るい声色で続けました。
「酷いこといった後に、申し訳なくなって、『大好きだよ』ってあんたのこと抱きしめていたの。
小さいあんたは混乱してしまったと思う。
『お母さんが怒ってるのは私のせいだ』『私はわるい子なんだ』って思ってしまったと思う。
だからお母さんは、『毒親』なんだよ。」
――そんなことがあったんだ・・・・
それを聞いても、私はいまいちピンときませんでした。
小さい頃の私の記憶に「お母さんに叱られ続けた」という記憶はありません。たしかにお母さんは不器用で、怒ると怖くて、情緒が安定しているかといえばそうではないかもしれない。
でも、似たもの親子です。私だって、不器用で、情緒不安定気味。
余裕が無くなるときだって、失敗することだって、きっとあります。
「あんたが自分に自信が無かったり、自分を責めてストレスをためやすいのは、その時ちゃんと向き合ってあげなかった私のせい。」
母はそういった旨のことも話しました。
「私はお母さんが『毒親』とは思わないよ。その時のこともぜんぜん覚えてないもん!」
私は笑って答えました。
一度こうと思ったら曲げない母、それでも自分は毒親なのだと言い続けるのでした。
そして今でも時々、母は自分のことを「毒親」だと言います。
私は覚えていないので母が幼少期の私にどんな言葉をぶつけてしまったのか、どんな態度をとってしまったのか、わかりません。
しかしそのことは母にとっては、根深い、罪悪感として残り続けているのです。
お母さんは「毒親」なんかじゃないよ。
うつ病の私の話をずっと聞いてくれてありがとう。
いつも心配してくれてありがとう。
お母さんと話してると心が安らぎます、ありがとう。
どんなに母が自分を「毒親」と呼ぼうと
過去に何があろうと
私にとっては最高のお母さんです。
今の私に出来ることは、1日も早くうつ病を治して
母に「ありがとう」と伝え続けることだと思っています。
柄じゃないのでとても恥ずかしいけれど。
でもいつか、全部伝えたいなと私は思うのです。
いつもありがとう、お母さん。