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【ずっとそこにあった】空の発見 松濤美術館

空の発見。ですって。空はずっとそこにあるけれど。

絵画の中でその概念がいつ頃生まれて表現にまでたどり着いたか、という企画。
小さいながらも面白い企画をしている松濤美術館。

概要

私たちが毎日見ている「空」。現代では誰もが共通のイメージを描けるあたりまえの存在に思われます。ところが日本の美術のなかでは、近世になるまで「空」を現実的に描こうとする意識は希薄でした。障屛画では黄金地や金雲などがこの空間を占め、水墨画では余白のような位置づけである時もあります。もとより「空」(そら)は(くう)とも読めるように、神の世界である「天」でも、人間のいる「地」でもない、曖昧な場所でした。
近世になると、西洋絵画などの影響をうけ、洋風画や泥絵、浮世絵などに青空が広がりだします。なかでも江戸時代、たびたび青空を描いた画家の司馬江漢(1747-1818年)が、蘭学から地動説を学び、科学的な空間認識を持っていたことは、「空」への意識の変化を考えるうえで示唆的です。一方で、浮世絵のなかの典型的な空の表現“一文字ぼかし”のように、その表現は形式的、概念的なものであることもありました。

明治以降、本格的な西洋画教育や、科学的な気象観測の導入をうけ、刻々と変化する雲や陽光を写しとろうとする画家たちが登場します。ところが次世代には、表現主義やシュールレアリスムなどの新潮流の影響のなか、自らの心象をこの空間に托すように多様で個性的な「空」を描く画家たちが続くのです。

そもそも、私たちの視点はふだん地上に向けられ、絵の中で「空」が主役となることは稀です。地上で震災や戦災が起こり、人間の活動がなぎ払われたとき、廃墟上に広がる空、戦地で見上げた空などが、突如重い存在感を持ち出します。目の前にありつつも意識されなかった空間が大きく浮かびあがる様は、認知の不確かさを物語ります。

松濤美術館


今回は大原美術館からも萬鉄五郎の自画像が来ているというのでそれも見たいがために行ってきた。

渋谷駅を避け神泉駅から歩く


神泉駅はそこから1km圏内にあの渋谷スクランブル交差点があるとは思えないぐらい静かな駅である。
区立美術館ではめずらしく金曜夜間開館をしていることに今回初めて気がついた。
金曜の行き先リストに追加できるな、と。
しかし金曜日の渋谷に行きたいかと言われる、となるべく避けたいと思ってしまった。
今回も撮影禁止のため作品写真はなし。

始まりは屏風から

空の認識っぽいのに空としてては描かれていない、日本画の霞。
金の雲は都合の良いところだけ見せるための目隠しとしての機能しているだけで雲や空そのものを描こうとしていないという。
洛中洛外図屏風などは俯瞰図であるから、視点は上空から。すぐそこに空がある感じがするけども。
月や朝陽、稲妻や黒雲は描かれているけども…確かに青空ってないのだな。
絵画表現にはないけど古典文学には空は出てくるか。竹取物語なんて空というか宇宙だものなー。SFだな。
青い空という表現はあるのか?百人一首に出てきただろうか。
月夜は出てくるが青空はないか。
青い空を表す「蒼天」や「碧空」という言葉はいつから使われているのだろう。気象の記録として、晴天はあったかもしれない。

泥絵の空

司馬江漢ぐらいから西洋画の影響を受けて空を描くようになってくるという。
著名な人が描いた作品でないが、素朴な良い泥絵があった。
こういう作品に岸田劉生が反応した、という。その解説を読んで妙に腑に落ちた。

岸田劉生の青空


「五月の砂道」。いや、これもうタイトルでなんか勝ってしまった感がある。「路傍初夏」とか「窓外夏景」も良い響きの言葉だな。
この頃は本人が作品タイトルまでつけていたのだろうか。
人物の手を描くのは上手くなかったけど、さすが日記を書き続けていた人でもあるので文字選びがいいのかなーとか考える。

5月とか初夏とか好きな時期でもあるのでその時期の作品は惹かれがち。(私は5月生まれだ)
今回の松濤では「平面的」という評であまり良く捉えられてなさそうだが、岸田劉生の青空は私は割と好きだ。雲一つなくて明快。

東京国立近代所蔵の重要文化財「切通之写生」の青空がベタに好きなのだが、あの抜けるような青空が気持ちよかったし、近代の時期にあのような絵が描かれていたころに驚いたのだ。

萬鉄五郎の空


イケメンに描いてるなー。裸体美人では脇の下の毛の描き込みまでしているけれど自画像に鼻毛は描かれて…ん?これは口ひげか。鼻毛ではないな。
その代わりと言ってはなんだが、吹き出しのようなカラフルな雲が浮かんでいた。うーん、なんでこれ描き入れたのだろう。
なんか急にコミカルになる。

香月泰男の青空


チケットにも絵が入るタイプ

作品名は「青の太陽」(1969年・山口県立美術館蔵)。今回の展覧会のメインビジュアル。
戦時中の軍事訓練が辛くて地面の穴に入っていく蟻が羨ましかった、あの蟻のように地面の穴から空を見たら…というところから描いた作品。
もう…エピソードが辛い。
でもこの地中から見た空の図って、そのまま松濤美術館の風景と重なるところがあるというか。共通点を見出してしまう。狙ったのかな。

地下の展示室。

現代の青空。阪本トクロウ氏の大型絵画「ディスカバー」(2005年・山梨県立美術館蔵)。電信柱も描かれているから電柱絵画でもある。
電柱にはシジュウカラがとまっている。雀ではなくシジュウカラなんだな。
絵にしたときシジュウカラのほうが色とか合ったのかもしれない。
でっかい窓みたいな、静かな絵だった。なんかいいなぁこれ、惹かれるな、と思って薄く塗られた青空をしばし見つめていた。

ホンマタカシの写真もある。

胃袋が空

見学後、館内をちょっと見ておなじみの写真を撮りつつ。

この階段。


本日は青空ではなかったけども。
結構しっかり見学できたので、胃袋が空。カラ。
肌寒くなってきたので暖かいかけそばを食べて、公園通りの生地屋TOAに寄って帰ってきた。

昔は月に一度¥10/mの日とかあった。


昔はマルナンとか駅前の好立地なところに生地屋があったものだが、今は昔。マルナンは10年前ぐらいに閉店したかな。
と思うと、よくTOAは残ってるな…と思ったが季節柄ハロウィンの仮装やらコスプレ需要がちゃんとあるらしく、手作りの文脈がこういう方向で途絶えず未だ繋がっていることに不思議な感覚になる。

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