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歴程 35号
『歴程』の古い号を入手した。1951年2月1日発行の35号。
若い頃に室生犀星や萩原朔太郎の『卓上噴水』、『生理』などの完全復刻版を、最近では恩地孝四郎特集、山村暮鳥特集の『感情』を求めたりはしているが、発刊時のままのオリジナル詩誌というのは初めてである。
歴程と言えば、詩を書く人で知らぬ者はないほど高名で、いまなお続く歴史的な詩誌。1935年5月に、草野心平、中原中也、尾形亀之助、逸見猶吉、岡崎清一郎、高橋新吉、菱山修三、土方定一の八名で創刊、26号で一旦休刊。戦後に復刊して、入手したものもその一冊である。
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この古い号に興味が湧いたのは、淵上毛銭の名があったからで、遺稿と草野心平の追悼文が掲載、その上巻頭には石川善助の遺稿四篇。岡崎清一郎は尾形亀之助について書いていそうで、これはもう手にとってみたい。
出品はオークションだったので、もう一人欲しがっているどなたかと競って、こちらに落ちた。届いてみると古い時代の色合いたっぷり、本文コーヒー色に変色して、この色は写真では出ない。紙はパリパリですぐにばらけそうなのでパラフィンがけした。
小ぶりの瀟洒な体裁で、洗練された編集は草野心平。繰ってみると三野混沌、小野十三郎、高橋新吉、逸見猶吉、串田孫一らの詩、金子光晴、伊藤信吉らのエッセイが続いて、何やら遠い時代の感覚を手繰り寄せて文字を味わうふう。読むという感覚ではない。
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石川善助は、その哀切な死もあって、四篇の遺稿が重く響いてくる。
それに比べて淵上毛銭の遺稿は彼らしく飄逸なもので、反ってしんみりさせたりする。高橋宗近の毛錢論もあり、草野心平の追悼文には山之口貘の名前も出てくる。
敬愛する詩人がずらり登場するこの薄っぺらい(といっても74頁ある)冊子の豪華なこと。もっとも本体は何度も繰ったり、写真に撮ったりする内に、古いホッチキス止めが剥がれて、パラフィン装で何とか保っている有様。
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郷里の『たんぽぽ』で知られた坂本遼は「終戦日記」。漢字カタカナ文の8月13日から16日までの四日間の兵営での記録。
この号のもう一つのハイライトは、原民喜の「碑銘」だろう。広島の原爆ドーム前にこの詩を刻んだ碑が立っている。「歴程 35号」に掲載されたこの作品が原民喜の最後の発表作であり、詩誌発行から40日後に彼は鉄道線路に身を横たえている。
最後に、編集後記の一節から。執筆は鳥見迅彦。
今月は「精気にみちて」十頁増大した。地獄の仲間、石川善助、逸見猶吉、淵上毛銭、尾形亀之助らと、共にこの号をつくつたことは歴程族のよろこびだ。今は地獄で新たな作品を書き加えることのできないこれらの鬼たちが、娑婆に置き忘れていつた作品の、むしろ精気にみちているにはあきれるばかりである。生きてる連中も押されぎみだ、といつたらこれも謙遜にすぎるだろうか?
(漢字は新字に改めました)