1945年のクリスマス
クリスマスには、この話をしたかった。
ベアテ・シロタ・ゴードンさんは、この本の著者である。
1945年のクリスマスイブ(つまり75年前の今日)に、彼女は日本にやってきた。
日本国憲法の第14条(法の下の平等)と第24条(男女平等)は、彼女なくしては語れない。
まさに、彼女からのプレゼントだった。
50年間封印されていたトップシークレットの物語
日本国憲法の人権条項(第14条、第24条)とベアテさんとのかかわりは、トップシークレットとして、50年間伏せられてきた。
なぜ、50年もの間、封印されていたのかというと、彼女のような若い女性が日本国憲法の草案にかかわり、男女平等が書かれたことが公になれば、憲法そのものに対する反発が大きくなり、捻じ曲げられてしまう可能性があることを、誰よりも彼女自身が心配したためだった。
今もこの本は販売されていて、文庫本になっている。
以下はAmazonの紹介文である。
日本の女性が幸せになるために必要なことは何か。
23歳の若さで日本国憲法GHQ草案の作成に加わり、
現在の人権条項の原型を書いた女性の自伝。
50年ものあいだ口にすることができなかった、
日本国憲法草案作成9日間の迫真ドキュメント!
(引用元 Amazon)
もし読んだことがなかったら、ぜひぜひ、読んでみてください。
(参考)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaijosei1988/19/19/19_19_3/_pdf
「Best」の文字に込められたもの
この本は我が家の書棚に大切に保管してある。
夢みたいな話だが、表紙をめくると、2001年5月17日付の、彼女の
サインがある。
このサインをもらってきたのは、長女である。
長女はこの日、来日していたベアテさんに会い、話を聴いて、サインをもらって帰ってきた。(なので、名前は伏せさせていただく)
長女はその後、女性と子どもの権利や福祉について専攻して学び、現在もその関係の仕事をしている。(だから私は、孫が熱を出せば預かったりして、せっせと応援している)
ちなみに、長女の進学当時、女性の権利と福祉について学べる場は、国立大学において、女子大にしかなかった。
男女共学の国立大学には、日本中探しても、どこにもなかったのだ。
(うちは地方都市住まいであり、子どもが3人いることから、国立オンリーだったので、私立大学については調べていない)
つまり男性は学ばなくてよいということか・・・仮に学ぼうと思う男子がいたとしても、その場はないのだから。
一緒に調べたので、よく覚えている。
「まあ、あなたより成績の良い人の半分は受験できないわけだから、受かるかもね」と、冗談まじりに笑った。
これも、この国の実情といえるのだろう。
追記
今回、この「note 」を書こうと思って、少し調べてみたところ、75年を経過し、著者も亡くなっている(2012年12月没)にもかかわらず、これを「偽りである」と述べている書籍もあった。
彼女が懸念していたことが、75年経っても(小規模ではあるが)やはり起こっているのだ。
50年間沈黙を守った彼女がどれほど聡明な女性だったか、そして第24条にどれほどの思いが込められていたかを、あらためて思う。
(心より、敬意をこめて)
「ありがとうございました」
もちろん、ご存知の方も多いと思います。
諸事情もあり準備不足が否めない状況で、正直なところ、書くことを迷いましたが、私の「note」でのはじめてのクリスマスなので、やはりアップしたいと思いました。
稚拙な文章をどうかご容赦ください。
(来年はもうちょっとましな文章で、リメイクしたいと思います)