『かごの鳥』の状態から抜け出す
[要旨]
業歴の長い会社であっても、その会社の製造する製品の需要がなくなれば、会社も製造する製品を変えたり、業種転換したりするという対応が必要になります。こういった対応は、経営者の方からみればつらい面もありますが、会社の目的は、同じ事業を続けることではなく、顧客の需要に応え続けることと考えなければならないでしょう。
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今回も、中小企業診断士の渡辺信也先生のご著書、「おたく以外にも業者ならいくらでもいるんだよ。…と言われたら-社長が無理と我慢をやめて成功を引き寄せる法則22」を拝読し、私が気づいたことについてご紹介したいと思います。前回は、事業計画を立てるにあたっては、従業員の給与を確実に支払うことができるように、十分な付加価値額を得られるものとすることが必要ということを説明しました。これに続いて、渡辺先生は、ご自身のご経験から、事業を継続することの難しさについて述べておられます。
「『変えたくても変えられない』、『どう行動していいかわからない』、中小企業の悩みは尽きないというのが、現状ではないでしょうか。実は、私も、変えられない時期が長くありました。私の場合は、大学を中退し、19歳で父親から小さな零細企業を事業承継しています。社会人経験もなし、さらに、印刷業という不況業種です。同業の先輩から聞きながら、父と同じようなことをしようとしていました。
そこでの営業活動は、お客様回りでした。いわゆる『御用聞き回り』と呼ばれるやり方です。お客様のもとに、『何か注文はありませんか?』と顔を出すだけで、仕事がありました。そして、『昨年、ご注文をいただいたもの、今年はいかがですか?』と聞くと、『昨年通りでお願いします』とほぼ注文がもらえました。(中略)しかし、世の中はそれほど甘いものではありません。年々、受注も少なくなり、売上・利益も減っていきました。(中略)
何も対策を打てないこと、変化できないこと、どんなに頑張っても『かごの鳥』状態でした。(中略)このままではいけない、変えていかなければいけないと思い続けていた20代でした。その後、当社は、そのような形態を捨て去り、経営コンサルタント業に舵を切りました。(中略)父親が守ってきた事業を、ある意味、壊してしまいました。私のやりたいことにシフトしました。お客様も事業も、受注の仕方も全部変わりました。父を支えてきた母は、きっと寂しさを感じたことと思います」(47ページ)
業績の長い会社ほど、事業を変えるための決断は難しいかもしれません。でも、時代の流れにうまく乗っている会社も少なくありません。例えば、シダックスは、1959年に、富士フイルム現像工場の社員食堂を請け負っとことが同社の事業の始まりです。その後、弁当の宅配事業、食事を提供するカラオケ店事業に進出していくなど、需要に応じてうまく事業を展開してきました。しかし、カラオケ店の利用客が、グループ客から個人客に変わっていくという流れに乗りきれずに、2018年にカラオケ部門を売却することになりました。
別の会社の例では、凸版印刷も、今年10月に、社名をTOPPANに変更し、「印刷」という文字がなくなります。(厳密には、凸版印刷は、持株会社のTOPPANホールディングスに商号が変更され、同社の事業を引き継ぐ会社がTOPPANという商号になります)同社は、印刷に関係する事業がなくなったわけではないようですが、「インクを使っていない印刷会社」と言われており、事業内容に合わせた商号にするようです。
また、富士フイルムも、社名にあるフィルムは現在は製造していないそうですので、もしかしたら、凸版印刷と同様に、商号が変わるかもしれませんね。もうひとつ例を挙げると、任天堂は、1947年に、かるた・トランプを製造・販売する会社として発足しました。しかし、1970年代にゲーム機事業に進出し、いまではゲーム機メーカーを代表する会社になっています。ちなみに、同社の2022年3月期のゲーム機生産額は1兆3,040億円であるのに対し、トランプなどの製造額はわずか3億円程度しかありません。
一方で、ヤクルトや日清食品など、長寿製品をいままで製造している会社もありますが、それは、会社の経営が優れているというようりも、需要がなくならないという要因の方が大きいでしょう。渡辺先生がご尊父様から引き継いだ印刷会社も、残念ながらこれからは需要が先程っていく業種ですが、需要がないのであれば、どうしようもありません。そうであれば、会社は、同じ事業をずっと続けなければならないという価値観に縛られることなく、顧客の需要に応え続けられることが優れている会社であると考えなければならないと、私も考えています。
2023/4/2 No.2300