山を動かすのはブルドーザーである
[要旨]
ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人元社長の新将命さんによれば、ドラッカーが、「意図で山は動かない、山を動かすのはブルドーザーである」という例え話で示しているように、理念や目標だけでは、組織(山)を動かすことはできず、そのためには戦略(ブルドーザー)も必要になるということです。すなわち、理念(目的)はあっても、目標や戦略・戦術のない企業は、いわゆる理念倒れとなりますが、反対に、目標あって理念なしでは、その目標はノルマと化す恐れが強いので、経営理念も重要であることに変わりはありません。
[本文]
今回も、前回に引き続き、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人元社長の新将命さんのご著書、「伝説のプロ経営者が教える30歳からのリーダーの教科書」を読んで、私が気づいたことについて述べたいと思います。前回は、新さんによれば、部下のスキル不足に嘆く管理者が多いものの、管理者自身のスキルを省みる人は少なく、自分が身をもって範を示すことが管理者に求められているということについて説明しました。
これに続いて、新さんは、経営者は、企業理念と経営戦略の両方を重視しなければならないということについて述べておられます。「『意図で山は動かない、山を動かすのはブルドーザーである』という言葉は、ピーター・F・ドラッカーの残したものだ。この後には、『戦略がブルドーザーである』と続く。ここでいう意図(Intention)とは、わが社にはこういう会社になりたいという企業理念に加え、何を達成したいかという目標である。
ドラッカーは、理念や目標だけでは、山(企業、組織)は動かないと言っているのだ。理想や情熱は、山を動かすための燃料にはなっても、動力はブルドーザーにある。肝心のブルドーザーがないことには、燃料ばかりがあっても役に立たない。ブルドーザーである戦略を持たねば、実行力に欠くことになる。本書でも何度か理念の重要性を謳っているが、理念とは包括的、抽象的、概念的なものである。それゆえ、大きな可能性を持つのだが、具体的な実行力となると、より現実に落とし込まなければならない。
理念が抽象的、哲学的であるのに対し、目標とは具体的、計数的なものである。理念に比べれば、見える化が可能であり、全員で共有しやすいが、それでも遠大な目標は巨大な像のようで、像を食べろといわれても、どこからかじればよいかわからない。そこでもう一段、目標を達成するための段取り(プロセス)が必要になってくる。それが戦略だ。目標を達成するために何をするかを明示する。
そしてその明示されたことをどう実行するかが戦術おいうことである。理念(目的)はあっても、目標や戦略・戦術のない企業は、いわゆる理念倒れとなる。理念や理想はあっても、永遠にそこへ近づけない。遠くに見える理想の星を悔し涙で眺め続けることになる。反対に目標あって理念なしでは、その目標はノルマと化す恐れが強い。『理念なき目標はノルマと化する』で、そこには『やらされ勘』が漂う。『やりたい感』は生まれない」(86ページ)
新さんがご指摘しておられるように、事業活動には企業理念と経営戦略の両方が必要ということは、ほとんどの方がご理解されると思います。しかし、私がこれまで中小企業の事業改善のお手伝いをしてきた経験から感じることは、中小企業で企業理念も経営戦略もないという会社は少なくありません。ここで、上から目線で恐縮ですが、企業理念が明文化されていなくても、社長の頭の中には存在するとしても、経営戦略を明確にしている会社は少数です。
なお、「当社の戦略は地域密着だ」、「当社はお客様第一で事業に臨んでいる」というような程度では、それは方針のレベルであって、経営戦略とまでは言えないと、私は考えています。本当の経営戦略であるならば、(1)経営理念と齟齬がなく、それを達成するものであること、(2)経営戦略から経営戦術に落としむことができること、(3)さらに経営戦術から数値化された事業計画を作成できるものでなくてはなりません。もちろん、経営理念から経営戦略を明確にし、さらに、経営戦術、事業計画へと落とし込む作業は労力がかかります。
しかし、経営戦略を持たずに事業活動に臨むということは、ブルドーザーを使わずに山を動かそうとすることです。しかも、最近は、経営環境が厳しさを増しており、それに対応して組織(山)もしっかりとしたものでなければなりません。さらに、その組織に対応した精緻な経営戦略(ブルドーザー)が必要であるということは容易に理解できると思います。それにも関わらず、ブルドーザーを入手することがたいへんだからと、徒手空拳で山を動かそうという経営者は、早晩、ブルドーザーで山を動かす会社に敗れることになることは明らかでしょう。
2024/10/19 No.2866