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【川端 玉章】日本画 / 彩色 査定 鑑定 買取 致します

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川端 玉章(KAWABATA Gyokusho)
絹本・彩色


◎川端 玉章の芸術

川端玉章(かわばた ぎょくしょう、1842年4月18日 - 1913年2月14日)は、明治時代に活躍した日本画家であり、円山派の伝統を受け継ぎつつ、西洋画の技法も取り入れた独自の作風で知られています。本名は滝之助。京都高倉二条瓦町に蒔絵師の子として生まれ、幼少期から絵画に親しみました。

11歳の時、三井家の支援を受けて中島来章に入門し、円山派の技法を学びました。また、小田海僊から画論を学ぶことで、理論的な基盤も築きました。1867年、江戸に移住し、高橋由一に師事して油絵を学ぶなど、西洋画の技法にも触れました。この時期、生活は困窮しており、錦絵や新聞の付録画なども手掛けて生計を立てていました。

1877年の第一回内国勧業博覧会で褒状を受け、以降、内国絵画共進会などで受賞を重ね、画壇での地位を確立しました。1890年、岡倉天心の招きで東京美術学校の教授に就任し、円山派の教師として後進の育成に努めました。また、1909年には川端画学校を開設し、多くの門下生を育てました。

玉章の作品は、円山派の伝統的な技法に西洋画の写実性を融合させた点が特徴です。山水や花鳥を主題とし、精緻な描写と奥行きのある構図で自然の美しさを表現しました。代表作には「四時ノ名勝」(1899年)や「丹頂鶴と青竹図」などがあり、これらの作品は現在も高く評価されています。

晩年には帝室技芸員や文展の審査員を務めるなど、日本美術界で重要な役割を果たしました。1913年2月14日、中風のため死去。その生涯を通じて、日本画の発展と後進の育成に大きく貢献しました。

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