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【徳岡神泉】 日本画 査定 鑑定 買取 致します
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◎徳岡神泉の日本画
徳岡神泉(とくおか しんせん、1896年2月14日生まれ、1972年6月9日没)は、京都市出身の日本画家で、本名は時次郎です。彼は京都の写生派の伝統を受け継ぎつつ、独自の写実表現を発展させ、「神泉様式」とも称される幽玄で象徴的な画風を確立しました。その独特の日本画は、戦後の日本画界に大きな影響を与えました。
1909年、土田麦僊の紹介で竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入塾し、本格的に絵画の道を歩み始めました。翌年、京都市立美術工芸学校絵画科に入学し、在学中に金牌や銀牌を獲得するなど優秀な成績を収め、卒業制作の『寒汀』は学校に買い上げられる栄誉を得ました。その後、京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に進学しました。
しかし、官展への出品が続けて落選するなど、若い頃には挫折を経験しました。このため、妙心寺での参禅や富士山麓への逃避など、精神的な苦悩の時期を過ごしました。その後、再び竹内栖鳳のもとで学び直し、1925年の第6回帝展に『罌粟(けし)』が初入選を果たしました。続く第7回帝展では『蓮池』、第10回帝展では『鯉』が特選を受賞し、帝国美術院無鑑査の資格を得るなど、画家としての地位を確立しました。
戦後、神泉は独自の画風をさらに深化させ、極度に簡略化されたモチーフと繊細な地塗りによる幽玄な画面構成で知られるようになりました。代表作には『赤松』(1947年)、『流れ』(1954年)、『仔鹿』(1961年)などがあり、これらの作品は彼の独特の様式を示しています。
その功績が認められ、1951年には『鯉』で日本芸術院賞を受賞し、1957年には日本芸術院会員となりました。さらに、1966年には文化勲章を受章し、日本画界における地位を不動のものとしました。晩年には体調の不安を抱えながらも創作活動を続け、1972年に腎不全により76歳で逝去しました。
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