【小茂田青樹】 日本画 鑑定 買取 致します
◎小茂田青樹の芸術
小茂田青樹(おもだ せいじゅ、1891年10月30日生まれ、1933年8月28日没)は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、「詩情の画家」と称されました。埼玉県川越町(現・川越市)に生まれ、本名は小島茂吉でしたが、1896年に叔父の養子となり小茂田姓を名乗りました。17歳で上京し、松本楓湖の安雅堂画塾に入門し、同日に速水御舟も入門したことから、終生のライバル関係となりました。
1913年、第13回巽画会展に出品した作品が実業家の原富太郎に買い上げられ、以降、彼の支援を受けることとなりました。翌年には今村紫紅が主宰する赤曜会に参加し、「青樹」と号しました。1915年の再興院展に「小泉夜雨」が初入選し、その後も再興院展や日本美術院展覧会(院展)に作品を出品し続けました。
1921年の第8回再興院展では、洋画的な手法と細密な表現が際立つ「出雲江角港」を出品し、横山大観らに推挙され日本美術院の同人となりました。1929年には杉立社を組織し、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の教授に就任しました。1931年の第18回院展では、日本画の装飾性に注目した「虫魚画巻」を発表し、その独自の作風が高く評価されました。
彼の作品は、繊細な筆致と抒情的な表現が特徴で、自然や風景、動植物を題材にしたものが多く、詩情豊かな作品群は多くの人々に愛されました。代表作としては、「虫魚画巻」(1931年、東京国立近代美術館所蔵)、「出雲江角港」(1921年、同美術館所蔵)、「ポンポンダリア」(1922年、横浜美術館所蔵)、「鳴鶏」(1930年、埼玉県立近代美術館所蔵)などがあります。
しかし、1933年に咽頭結核が悪化し、神奈川県逗子市で41歳の若さで逝去しました。彼の墓所は川越市の広済寺にあります。短い生涯ながらも、その詩情豊かな作品群は日本美術史において重要な位置を占めており、現在でも多くの美術館で彼の作品が所蔵・展示されています。
小茂田青樹の芸術は、伝統的な日本画の技法を基盤としながらも、洋画的な手法や細密描写を取り入れた独自の作風であり、その詩情豊かな表現は多くの人々を魅了し続けています。彼の作品は、自然や風景、動植物を題材にしたものが多く、その繊細な描写と抒情的な表現は、観る者に深い感動を与えます。
彼の代表作の一つである「虫魚画巻」は、1931年に制作された作品で、日本画の持つ装飾性に注目した作品として高く評価されています。この作品は、東京国立近代美術館に所蔵されており、彼の繊細な筆致と独自の美的感覚を如実に示しています。
また、「出雲江角港」は、1921年に制作された作品で、洋画的な手法と細密な表現が際立つ作品として知られています。この作品も東京国立近代美術館に所蔵されており、彼の技術と表現力の高さを物語っています。
小茂田青樹の作品は、現在でも多くの美術館で所蔵・展示されており、その芸術的価値は高く評価されています。彼の作品を鑑賞することで、彼の繊細な感性と独自の美的世界を感じ取ることができるでしょう。
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