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バスに乗って【短編集】

この辺りでは見たことがないバスだ。車体の色が水色と濃い青で上下2色に色分けされている。佐々木拓也はバス停に停まった車体に貼られた「ワンマン」の少し錆びた白いプレートを見ながらそう思った。もうすぐ5歳になる息子の健太が見たら喜ぶかもしれない。
いや、あの子は乗り物より好きなものがある。

「ダーー」

小さい頃の息子の声を思い出して拓也は頬を緩めた。健太が初めて話した言葉は「ダー」だった。聞いたときは父の「ダディー」である自分のことを指しているのかと思って嬉しくなったが、妻の真由美がそれは「ダイナソー」の「ダ」だと言われた。
健太は小さい頃から恐竜が好きだった。
ダイナソーは当時やっていた子ども向け番組の中で主人公の少年が呼んでいた呼び方だった。影響されたのか、少し大きくなって後も健太は恐竜のことを「パパ、ダイナソーはね」と言った。
健太の声が聞きたかった。 先月、病気で入院し、もう1ヶ月になる。

「すみません。お客さん、うち現金しか使えないんです。200円になります」前のりの運賃箱で、ICカードをタッチする場所を探していたら、運転手の男がいった。丸い目とたっぷりとしたアゴの肉がついた男はたぬきに似ていた。拓也はまさかと思った、今どきキャッシュレッシュ決済ができないバスは珍しい。運転手の男の額から汗が流れている。
冷房の効いていない車内は、じめじめと蒸し暑かった。経費削減なのだろうか。拓也は慌ててズボンのポケットの中を探したが何もなかった。

「少しは小銭を持っておくと、何かあったとき便利よ」真由美が気を効かせて、通勤用カバンに青い小銭入れを忍ばせてくれていたことを思い出す。こんな時に役に立つなんて。拓也が100円玉が5枚だけ入った小銭入れから小銭を2枚抜き取り運賃箱に入れると、機械に吸い込まれるように小銭はなくなった。

「お客さん、行き先は大学病院前でよかったですね」
「はあ、なんで知っているんですか?」
バスの料金はどこまで乗っても一律200円だそうだ。拓也がどこで降りるか知らないはずだった。
「着いたら、起こしますよ。お客さんは休んでてください。きっと貸切ですから」バスの中は誰もいなかった。仕事帰りに連日息子の病院に通う日々に疲れもあったのかもしれない。拓也は運転手の言葉を聞くと、バスのシートに身体を預け瞼を閉じる。バスは滑らかに発車した。

再び拓也が目を覚ました時、ちょうど車内の電光掲示板が目に入った。次の停留所は「大学病院前」だった。ほっとして窓の外を眺めると、右手に白い大きな大学病院の前を通りすぎているところだった。拓也は思わず声を張り上げる。

「ちょっと、運転手さん。病院が過ぎています!降ろしてください」
腕時計を見ると18時10分。今夜の面会時間は後20分で終わってしまう。
2回ほど問いかけたが、運転手は一向に返事をしない。バスはどんどん走り去り、痺れを切らした拓也が立ち上がった時だった。

「お客さん、もうすぐ着きますよ」
運転手の落ちつた声がした。声のトーンとは裏腹にバスはどんどんスピードを上げていく。車体の大きな揺れで、拓也は再びシートに座りこんだ。
「シートベルトをおしめください。揺れにご注意ください」
女性の声でバスのアナウンスが突然流れた。
自分が乗ったバスは、地元のバスじゃなかったのか?間違えて高速バスに乗ってしまったのだろうか?

バスはさらに加速し、暗いトンネルに差し掛かる。トンネルは昔の時代にはあった二重トンネルになっていて、トンネル上層部にぽっかりと穴が空いていた。拓也の住む街では見たことがないトンネルだった。
その時、車体がふわりと浮きあがった。拓也のシートベルトがかちゃりと外れる。お弁当箱のようにバスの上下がぱかりと開き、拓也は外に放り出された。
 慌てて手足をバタつかせるも、外は無重力のようだった。おまけに綺麗な昼間の青空だ。随分と放り出されたらしい。乗っていたバスが雲のように遠くに浮かんでいるのが見えた。

「お〜い!」遠くから声がする。
目を細めて見つめると、男の子が向かってくるのが見えた。
健太だ!
健太が思いっきりこちらに向かって手を振っている。その光景に、拓也はハッと目を見張った。健太は、恐竜の上に乗って手を振っていた。
恐竜だって?もはや何がなんだかわからない、拓也は混乱していた。
足元の先はずっとずっと下に住まいの街並が広がっていた。

「パパ、迎えにきたよ。乗って」見上げると健太は恐竜の背に乗って、上から手を差し伸べていた。
「入院してたんじゃなかったのか?」随分間の抜けた声で拓也は言った。
「時間がないんだよ。早く乗って」健太に急かされ、拓也は恐竜の背中に乗った。10メートル以上ある身体は大きく、何人もの人間が乗れるのではないかと思うくらいだった。ゴツゴツした皮膚の感触があったが、ひだまりのような温かい体温を感じる。
拓也が乗り終えると、恐竜は地鳴りのような大きな音で
「オオ〜ン」と首を振った。前に座る健太が嬉しそうに振り返って言った。
「パパ、ダイナソーだよ。T-REX、とっても強いんだ。アゴの力が強くて何でも噛みちぎれる鋭い歯があるんだよ」
知っている。T-REX、通称トリケラトプス。今までに健太から何度も図鑑で見て、話を聞かされていた。
これは夢なのか?息子は、恐竜使いになったのだろうか。
「健太、身体の調子はどうなんだ?」尋ねたときだった。
空の上にいるにも変わらず、ドシドシと大地を踏み鳴らす強く鋭い音が聞こえきた。
「パパ、あいつが来た!!背中を丸めて低くして」
「何がきたんだ?」
「アラモサウルスだよ。あいつとっても強いんだ。さっきからずっと追いかけてきてて。ねえパパ、一緒に戦って!」
気づくと目の前には首の長い恐竜の姿があった。身体はとても大きく自分たちが乗っているT-REXの2倍の大きさはある。そして背中から尾にかけて大きな棘がいくつもあった。
あの首で張り飛ばされたら、ひとたまりもないだろう、拓也の身体は縮こまった。
T-REXがもう一度うなり声をあげる。アラモサウルスが鋭い目を光らせる。
「いけ〜!!負けるな〜」息子が叫んだ。よくわからないが、戦うしかないようだ。拓也も負けじと叫ぶ「負けるな〜」
アラモサウルスが、T-REXの腹をめがけて、長い首を振りかざし、頭で突いてくる。
身体が思いっきり、振動で弾む。拓也は息子を腹に抱えるように、前かがみになりT-REXにしがみついた。
T-REXも大きな口を開け、アラモサウルスに噛みつこうとする。
「負けるな〜」拓也の腹の下から起き上がった健太が再び叫んだ。


(そうだ、負けるな〜、君は強い!)


空を切ったアラモサウルスの尾が、健太と拓也を振り払うように、弧を描いて伸びてくる。
まずい、落ちる。振り落とされたまいと腕にこめた力がもう持たない。冷や汗が出て拓也の身体の感覚がまひしてくる。
身体がT-REXから引き剥がされていく。無重力だと思っていた青空だったが、真っ逆さまに落ちていく。T-REXがもう一度、大きな口を開け、雄叫びをあげ、アラモサウルの首に噛みついていくのが、かすかに見えた。
落ちていきながら、健太は息子の身体をしっかり掴んでいた。


我々は、勝ったのだろうか?


気が付くと、拓也は大学病院の前にいた。受付を済まそうとすると、本日の面会時間は終わったという。時刻を見ると18時30分になっていた。
仕方なしに、近くのバス停まで歩きバスを待つ。
数分後にいつもの見慣れたバスがやってきた。運賃は後払い方式だった。
バスに乗り込み、自宅の最寄りのバス停まで乗る。降りる際にICカードをタッチして運転手の男の顔をじっと覗きこんだ。たぬき顔のあの運転手ではなかった。

「ひょっとして、恐竜に出会うバスはありますか?」
そんなことを聞いたら頭がおかしい奴と思われるだろう。
運転手が不思議そうな顔をして見返してくる。
「お客さん、今日一度バスに乗られた記録がありますが、退場記録がありません。どこのバス停で降りられましたか?」
「いや、行きは現金しか使えないと言われたものだから現金で200円・・」答えがしどろもどろになる。拓也が乗っているこのバスは一律料金ではなかった。運転手は小さくため息を突いてICカードの出場記録を取り消してくれる。

(自分は確かにバスに乗った。けれどもどうやって?)


「面白い話だけれど、きっと眠って夢でも見てたんじゃない?」
夕飯の席で真由美はそう言った。
「でも、リアルだったんだよ。健太も、恐竜も。あの子があんなに強いと思わなかった」
野菜出汁の良い香りがする。和風味のポトフの人参をかじると、甘味と旨みが身体に染み込んでくる。
拓也は帰宅するなり真由美に今日の出来事を話していた。

「あっ!でもそういえばね」そう言って、真由美はリビングの方にいき画用紙を持ってきた。
「私も昼間、健太に会いに行ったのよ。そしたら恐竜の絵を描いていたの。パパにこの絵をあげてって」
真由美が見せてくれたのはクレヨンで描かれた息子の絵だった。
拓也はじっとみた。首の長い恐竜に、健太の好きなT-REX。背中に乗っている子は、健太自身だろう。そして、拓也はじっくり目を凝らしてみる。
健太の後ろに豆粒みたいな、人が一人。

「おい、これ僕だよ、絶対!この背中に乗ってる後ろのやつがいるだろう。これ僕だよ」拓也は、興奮したように両手に持った絵を高く持ち上げて言った。


(僕らはきっと本当に一緒に戦ったんだ)


拓也の横で真由美は目に穏やかな笑みを浮かべて言った。
「検査結果の数値次第だけどね、来週退院できるかもしれないって。今日、病院の先生から聞いたの。嬉しくってあなたにすぐに話したかったけれど、あなた帰ってから、ずっとダイナソーがどうって」
「そうか、やっと退院できるのか」
拓也の目頭が熱くなる。
「健太はきっとアラモサウルスに勝ったんだよ」真由美に聞こえるかどうか分からないくらいの声で拓也は小さく呟いた。


拓也は風呂に入ったあと寝室に入った。部屋の隅に置いってあった通勤カバンに目が止まる。ふと思って、カバンの中に手を入れ小銭入れを探す。
あの青い小銭入れが見つかった。
拓也は中の小銭を数えて見る。

ちょうど200円が消えていた。









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