良い方の自分を出し続ける努力
どんな人間にも複数の自分がある。
家族の前では意外と強気で、外に出れば物静かな内弁慶外地蔵
人の多いところではあまり話さないが、少人数ならよく喋る
誰かの前では大人しく、他の人の前では偉そうにする
何か一つのことには熱いが、他のことには冷めている
自分らしさ、自己とは、
"〇〇な私"ではなく、
"〇〇な時は▲▲な私"である。
極端に言えば、良い自分と悪い自分の二面性がある。
だから、自分を好きな私と自分を嫌いな私が存在するのだ。
そして、前者が強い者がナルシストと呼ばれる。後者が強い人はそもそも自己肯定感が低く何事においても自分を卑下してしまう。
対極におけば、ポジティブとネガティブだ。
私の場合には、真面目で向上心のある私と怠惰で変化を嫌う私が存在している。
だから、他人から見た時にどの面を見せているかで評価は変わってくるのだ。
私の場合、前者が最初に現れて、日が経つにつれて後者に移行していく。簡単に言えば、飽きているともいえるが。
そうすると、質が落ちたとか、気が緩んでいるなどと言われることもある。
だが、良い自分が消えたわけではない。
なぜなら、二つの面を合わせたものが私だからだ。
そして、出そうと思えば良い自分は出せる。誰でも。
意識の問題だ。
ただ、この"良い自分であり続ける"という行為が異常なまでに精神力を消耗する。
ポイ捨てされたゴミを見て、すぐ近くにゴミ箱が見える。
拾って捨てようと思う時もあれば、放置する時もある。
人から何かを頼まれて一生懸命やらなければと思うこともあれば、
今日はある程度でいいかなと思う時もある。
気分のせいだと割り切ってしまえばそれまで。
気分屋だからといってしまえばそれで済む。
自分は気まぐれだからと。
そうして悪い自分、弱い自分の出現を許す。
許し続ける。
その結果、良い自分を保つことがどんどんしんどくなる。
いい人は常にいい人かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、常に良い自分であろうという努力だけは怠ってはいけない。
こんな自分が嫌いだと思えるということは、そんな自分とは反対の良い自分があなたの中にいるということ。
だからこそ辛くしんどい。
だか希望はある。
矛盾するが、辛くしんどいからこそ希望がある。
良い自分を出し続けること、出そうと努力し続けることで、悪い自分は薄れていく。
なくなりはしないだろう。
なぜならそれも自分だからだ。
それでいい。
ただその比率がどんどん離れていけばいくほど、
望む自分に近づくことができるのだ。
なろう、好きな自分に。