元アイドル統合失調症、2年寝たきりから回復しました(後編)うつ期間~回復まで
はじめに
こんにちは、ろこです。
統合失調症の症状がおさまり、うつ期間~回復までを書いていきたいと思います。
前編はこちらを見てください。
元アイドル統合失調症、2年寝たきりから回復しました(前編)|ろこ (note.com)
死にたい気持ち
2022年5月頃、統合失調症のせん妄状態、妄想や幻聴などの症状がおさまり、
今まで自分が不可解な言動や行動をたくさん起こし、
まわりの色んな人たちに迷惑をかけてしまっていたということを理解しました。
そのあとは、絶望でした。
YouTubeも伸びなくなり、撮影会やライブ活動を再開してみたもののあまりうまくいかず、周りの人に迷惑までかけてしまって、
もう生きているのが恥ずかしい。死にたいと思いました。
私は普段は「死にたい」と思うことが、基本的にありません。むしろ、小さい頃から「死恐怖症(タナトフォビア)」なんです。。
「死にたい」と思ってしまったとき、やばいなと思いました。
今まで「死ぬ」という選択肢を考えずにいたけれど、
死んでしまえば、この恥ずかしい、やりきれない、絶望から即座に解放されるんだと思いました。
今まで自分なりに色々立て直そうと頑張ってみた。でも、だめだった。
自分で納得できる自分にはなれなった。
もうだめだ、やめたい。諦めたい。死ぬしかないんだと思いました。
そこからは、SNSの更新などもまったくできなくなってしまいました。
2022年6月頃、必死の足掻きで、LINEライブ配信、YouTube撮影、
ライブ活動などをしていました。
この頃はまだコールセンターでの仕事もしていて、
統合失調症の症状も落ち着いたばかりの病み上がりで、
本当に満身創痍、ボロボロな状態でした。
生誕祭ライブ
2022年7月10日には、自身の生誕ライブを控えていました。
正直なところ、心身ともにもういっぱいいっぱいで、
「生誕ライブの開催を辞めたい・・・」という気持ちもありました。
でも、もうすでに会場も演者さんたちも決まっていて
ここまできてキャンセルするわけにはいきませんでした。
準備もままならず、お客さんもあまり呼ぶことができず、
協力していただいた人たちには、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そして、ありがとうございました。
7月10日の生誕ライブをなんとか終えて、
もう、休もう。と思いました。
その頃の私は絶望感でいっぱいで、頭の中のほとんどが「死にたい」という気持ちに支配されてしまっていました。
私は地方出身、親からも当初は芸能関係の活動を反対されていて、
最初から恵まれた境遇ではありませんでした。
それでも色んな出会いやご縁に恵まれ、地下アイドルやYouTubeなど、
自分がやりたいことを叶えることができていました。
特にUUUMに所属して毎日動画を投稿し、案件などもいただき、
視聴者さんとコメントなどで交流できた
2018年~2021年頃は本当に毎日が楽しかったです。
「好きなことで生きれている!」と思っていました。
だからこそ、落差を感じてしまったのもあると思います。
生誕ライブを終えて
2022年7月、生誕ライブをなんとか終えて、
張りつめていた糸が切れたようになりました。
抜け殻のようになり、もうどうせ何したってだめなんだと思うようになり
毎日「早く死にたいなあ」と思っていました。うつ期間の始まりです。
・2022年7月~年末ごろまで
この頃はまだ、自分の中に「もしかしたらいつか回復できるかも」という希望がありました。
コールセンターでの仕事もなんとか続けていましたが、
仕事の時間にどうしても起きれなくなり、2022年11月頃、辞めることになりました。
・2023年~2024年6月ごろまでは、ゲームに生かされていました。
本心は、「今すぐ死にたい」という一心でした。
飛び降り、飛び込み、首吊りなど、いろんな方法を真剣に考えましたが、
飛び降りは外に出るのすら億劫なのと怖すぎてできず、
飛び込みもひかれた後の自分の姿を想像すると怖くてできず、
首吊りが一番やりやすいのかなとは思っていたのですが、
家には家族がいたのでなかなか実行するに至らずでした。
安楽死できる薬が欲しい、と毎日思っていました。
ゲームも1人ではできず、キジ彦(旦那さん)に付き合ってもらっていました。
ゲームをしている時だけは、自分が置かれている状況や、自分の将来、
死にたいという気持ちなどを忘れることができました。
ゲームするか、寝るか、スマホで「死にたい」「自殺する方法」
などを調べるかでした。
お風呂にも入れず、トイレすら面倒でした。
早く終わらせてほしい。心は死んでるのに身体はどうして死ねないの。
自分にはもう未来なんてない。何も楽しくない。
音楽も聴けず、大好きだった漫画もまったく読めませんでした。
唯一出来たのが、ゲームでした。
キジ彦と、キジ彦の友達と、私の3人で、毎日ゲームをしました。
フォートナイト、GTFO、forest、リーサルカンパニーなどなど
キジ彦とその友達の2人はかなりのゲーム好きで、ゲーマーだったので、
本気で一緒に楽しんでくれました。
ゲームをしている時だけは、現実を忘れられました。
そして2024年5月、某MMORPGをはじめました。
近況と思い出話、統合失調症になったお話|ろこ (note.com)
こちらの記事から引用します。
「はじめはソロ(キジ彦、その友達とボイチャしながら)でぼちぼち遊んでいたのですが、
最近はクランというかギルドのようなものに入ってチャットをしたりしながら遊んでいます。
そこでは私はそもそも単なる1人のキャラでしかなく、私の性別も年齢も職業も、誰も知ることはない「やさしいせかい」でした。
そこで偶然気が合って毎日のようにチャットで話している人がいて…
昨日、「○○さんがいなかったら私は死ぬ」と言われました。
ずっと泣くことすらできなかったのに、涙がいきなりどばどばと止まらなくなりました…。
何もできず毎日引きこもって、死んでるも同然な自分にそんなことを言ってくれる人がいるなんて
いま、何もできない自分だけど、軽い気持ちで言ったのかもしれないけれど、
今この瞬間はそんな自分が必要とされたんだなあって思いました。
たったそれだけだけど涙が溢れました…。
こうして文章を書く勇気をもらえました。」
この記事を書いたのが、今年の7月5日です。
そこから、どんどん回復することができました。
記事にたくさんの反応をいただけて、あたたかいコメントやいいねをいただけたのも、すごくすごく大きな支えになりました。
本当にありがとうございます!
これからのこと
今は、週3くらいで近所の飲食店でバイトをすることができています。
久しぶりにYouTubeの投稿もすることができました。
SNSを更新して、交流できるのもすごく楽しいです。
そして2年間ずっと会えなかった友人たちとも、たくさん遊んでいます。
2年間寝たきりで、SNSもまったく更新できていなかった中、
仲村コニーちゃんと、元ナト☆カンのしおりちゃんは
たまに連絡をくれていました。
動けなくて、会うことはできなかったけど、
気になっていても自分から連絡するのって結構気後れしちゃったりすると思うんです。。
2人は演者さんとしてももちろんだけど、人として本当に素敵だなと思います。推してる人、推してた人はさすがですね。。!!
今はこの幸せがずっと続くといいなと思っています。
YouTubeは無理のない範囲で更新できればと思っています。
私はやっぱり何か活動をしていないとだめみたいです。
ライブも好きだし、YouTubeも大好きです。
こんな私ですが、これからも応援していただけるととても嬉しいです。
これからもよろしくお願いします!