「第8章 懐かしのリスボン Lisboa Antiga」アントニオ・タブッキの「レクイエム」で巡るリスボン
リスボンの街を、魚に乗って浮遊したかのように巡った主人公は、その夜再びアルカンタラ桟橋を訪れる。会う約束をしていた「詩人」に会うために。この詩人は、物語のどこにも書かれてはいないが、間違いなく「フェルナンド・ペソア」である。
そういえば、ペソアも旅行記を書いてる。「ペソアと歩くリスボン」。
実はこの本も「レクイエム」と同時期に購入して、初リスボンの前に
読もうと試みたが、最初の数ページで本を閉じてしまった。実際に行った後ならまた違った印象を持つかもしれない、と何度もトライはしてみたものの、やはりページはそれ以上進まない。私にとって「レクイエム」が、最高のリスボン旅行ガイドであったからかもしれない。
その後、ペソアの書物に少しずつ手を伸ばしてみた。フェルナンド・ペソアは非常に特異な存在感を放つ作家である。彼は4つの異名を持ち、それぞれの人格は、異なる文体の作品を残した。実際に多重人格者であったともいわれている。
私はペソア名義ものしか読んだものがない(詩集の中に一部含まれてはいるが。)。「ポルトガルの海」(詩集)、「ペソアと歩くリスボン」、「アナーキストの銀行家」(短編集)の3冊だ。特に「アナーキストの銀行家」の中の短編「忘却の街道」には衝撃を受けた。もしかしたらこれがいくつかの人格を持つという彼の頭の中の情景なのかもしれない、と。
ペソアの作品、いや存在そのものは、その後の文学に、多大な影響をもたらした。ノーベル賞作家、ジョゼ・サラマーゴは「リカルド・レイス死の年」(リカルド・レイスはペソアの異名のひとつ)、タブッキは「フェルナンド・ペソアの最後の三日間」という作品を残している。もちろん、「レクイエム」も、ペソアという存在の上に織り重ねられているといってもよいと思う。
さて物語の方はというと、「詩人」との会食シーンに、ひとりのアコーディオン弾きがやってきて、ファドを2 曲奏でる。まずは、
「懐かしのリスボン」
原書では「Lisboa Antiga」。ポルトガル人なら、おそらく誰でも知っている名曲。いろんなレジェンドが歌っている。
歌っているのはAnita Guerreiro(アニータ・ゲレイロ)さん。現在も、現役で老舗カザ・ド・ファド(ファドが聴けるレストラン)「O Faia」で歌っておられる。
こちらは、アマリア・ロドリゲス版。ファドは歌う人によって、全く違う曲に聞こえることもあるくらい、個性が大切にされている。私がファドに最も惹かれるところだ。
アコーディオン弾きは続いて;
「うるわしの瞳よ」
を奏でる。これは「São tão lindos os teus olhos(君の瞳はとても美しい)」というコインブラファドの名曲。コインブラに、コインブラファドと呼ばれる、リスボンファドとは違うジャンルの音楽がある。元々はコインブラ大学の学生が歌うセレナーデだった。リスボンのファドと同様に、ポルトガルギターが使われるが、調弦がリスボンのそれよりも低く、弾き方のスタイルも異なるらしい。
最初、邦訳で「うるわしの瞳よ」という曲名を見たとき、別のファドのことだと思っていた。ポルトガル語の原作本を手に入れて確認して初めて、この曲ではないことがわかった。思っていたのは「Olhos Bonitos」という、ポルトガルギターのレジェンド、Armandinho(アルマンディーニョ)の有名なギタラーダ(ポルトガルギター器楽曲)だった。
確かに、この曲をアコーディオンで弾くのは至難の業かもしれない。
さて、主人公が無事「詩人」に会えたところで、私の「レクイエムを巡る旅」も終わりにしようと思う。無事、彼が美しいアゼイタンの村へ帰れることを祈りながら。
次回は、このエッセイシリーズ、「アントニオ・タブッキの「レクイエム」で巡るリスボン」のあとがきに代えて、今回の「旅」に思いを巡らせたいと思う。