書き続けるための工夫をあきらめない
文章として書き記して、忘れないように留めておきたいことたちがたくさんある。なのにここの更新が捗らないのは、考えることが追いつかないから、でした。
エッセイを書くきっかけとなった『エッセイストのように生きる』で松浦弥太郎さんはエッセイを書くことの全体を10とすると、書くが3、その前の考えをめぐらせることが7くらいとおっしゃっています。
文章を出すからには、確かにそのくらいの思考を経て見つけたものについて書きたいと思っていましたし、実際にそうすることで最初題材として書こうと思っていたのとは異なる気づきを得ることも多々あります。
ただ今のわたしには「考える」ということが圧倒的にむずかしいのだと気がつきました。
もともと考えることは好きです。お風呂に入りながら、ごはんをつくりながら、ドライヤーで髪を乾かしながら、考えようとはするのです。
でもその思考は深まる前にすぐになにかに奪われてしまう。それは息子の声であることもあれば、スマホの通知だったり、就寝までの段取りを考えることだったりもします。
そうすると結局考えを深めたかった、書き記したかったものたちが、積みあがっていく。
そして、積まれた状態で色褪せていってしまうのです。
そんなのはもったいない。わたしはもっとこの瞬間の考えや思い、情景を残しておきたいのです。
というわけで、考えが深まっていない状態でも、言葉として書きはじめてしまおうと思います。
これまで以上につたない文章になるかもしれません。でも、わたしにあったかたちにするために工夫するのは必要なことだから。
さぁ、はじめましょう。