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「潜在する良心」と「友達の定義」

私の人生に物語があるとしたら、

夫と出会う前が第一章、

夫出会ってからが第二章、

Amazonほしい物リストを公開してからが第三章

ともいえそうです。

それくらい、今回の件は私の人生の変えたというか見方を変えたというか…

今回の記事は私の全身全霊を込めて書きます。

だからこの絵↑も夫が描いてくれました。

私が抱えた自律神経失調症と夫の指定難病潰瘍性大腸炎、それらによって余儀なくされた私たち夫婦の休職については以前の記事に書いている通りです。

今回の記事の内容はざっくりいうとその上記の一連の流れを通して、私たちがとった行動と、それから学んだこと、得たことです。

それでは早速書いていきます。

夫は闘病生活を乗り越えて退院してきた時

「生活に困窮しているんですよね」ということを

ネット上の知り合いに吐露したらしい。

するとその知り合いは「『Amazonのほしい物リスト』を公開してみたらどうか」ということを提案してくれたそう。

その提案を聞いた夫はTwitter上で、

「自身の持つ難病」

「生活が苦しい」

「助けて」

ということを改めて公表し、

『Amazonほしいものリスト』を固定ツイートとした。

すると、まずは早速、その提案をしてくれた知り合いからいくつも物資が届き、続々と保存食や栄養剤や趣味の本や娯楽物が届いた。

顔も知らず、本当にネット上だけでの繋がりの送り主も何人かいたみたい。

または、え、まさか、あなたが!?というような距離感の人も物資を送ってきてくれたらしい。

自宅で療養している夫は、自分のことを意外と周りの人々が助けてくれることを喜び、毎日毎日「嬉しい嬉しい」と言い、精神的に満たされていくようだった。

それに対し、コロナで仕事が多忙化し、引っ越しのため荷造りも忙しく、休んでいる夫を横目で見ながら家事をして精神が壊れていく私であった。

休んでいる夫への嫉妬心、それだけではない。

もし私が夫と同じ立場だった場合、私はみんなに助けてもらえるだろうか、と考えていた。

正直自信がなかった。

一生懸命働いて得たお金を私のために使う余裕のある人が私の周りにはいないだろうと。

つまり、

私に人望などないだろう。そう思っていた。

だから夫が幸せそうなのが嬉しいような、少し羨ましいような、そんな複雑な気持ちでいた。

そしていざ引越しをした。

引越しを終えた翌日。

私は明らかに自分の精神状態がおかしいことに気づき、心療内科に行った。

この時の具体的なことは、

以前の記事「自律神経失調症になるまで」を見てほしい。

お医者さんにも

「仕事はとりあえず1ヶ月は休みなさい」

とはっきり言われ、診断書を書かれ、

本当にその通り、私にはもう生きる気力なんかなかった。

仕事が休めることは嬉しかった、でも、それと同時にクソ真面目な私は、

「夫婦2人して収入なくしてどうやって生きていくんだ」

という問題を抱え悩み、また精神が壊れかけた。

引っ越したばかりだといろいろ物入りだ。夫の医療費と休職のことを考えて、安い物件に業者を使わず自力で引っ越してきたとはいえ、部屋は増えるからカーテンなり照明なりは購入せざるを得ないし…

そこでふと「夫のほしい物リスト公開」のことを思い出した。

図々しいと思われるかもしれない

物乞いみたいに思われるかもしれない

ずるいと言われるかもしれない

自分らで解決すべきだと言われるかもしれない

誰も助けてくれないかもしれない


悩みに悩んでわたしは夫と同様に

「自分の自律神経失調症」

「生活が苦しい」

「助けて」

ということを公表し、

「Amazonほしい物リスト」をTwitterとインスタとLINEのタイムラインで公開した。

その投稿をしてしばらくはずっと動悸がしていた。早く、誰かが少しでも助けてくれないかとずっと自分のそのリストを見ていた。私のやったことが間違っていないと信じたかった。

すると数分経ってすぐに

「誰かが、あなたのほしい物リストにあるこの商品を購入されました」

という文言が目に入った。

私は嬉しくて嬉しくて嬉しくて、夫に泣きながらその画面を見せた。

誰かが私のこの精神状態を認めてくれた

誰かが私の苦しさを理解してくれた

誰かが私の苦しさを軽減しようとしてくれた

誰かが私を助けてくれた

私のことを見ていてくれる人がいた

私のことを知ろうとしてくれる人がいた

私のことを助けてくれる人がいた

私に共感してくれる人がいた

私はひとりじゃないかもしれない

私にも友達や友人と呼べる人がいるかもしれない

今度は私がその人を助けられるようになりたい

ああ、これが人と人とのつながりだ

ああ、これが人と人との助け合いになるんだ


心配していたことよりもはるか多くの

いろいろな幸せな思いがこみ上げてきた。


支援物資を送ってくれた人の中には

ほとんど話したこともなかったり

アカウントをたまたま知っていた程度だったり

そんな人たちもいた。


それで分かったことがあった。


夫に人望があるとかないとか

私に人望があるとかないとか

そういうことではない。

(もちろん中には過去に私がしたことに対してお礼です、と言って贈り物をくれた人もいたけれど)

基本的には困っている人がいて、自分に出来る範囲で相手にとって助けになる方法が明らかにあるなら、出来る限りそれを実行したいと思っている人はたくさんいるんじゃないかな。ということ。

これが私の一つの大きな学び。

そしてもうひとつ。


話が変わるようで変わらないんだけど、

「友達って何?」って考えたことない?

毎日一緒にLINEするのが友達?

毎日一緒にご飯を食べたりトイレに行ったりするのが友達?

修学旅行の班決めでくじ引きズルしてでも一緒になるのが友達?

移動教室一緒に行く子が友達?

週に一回ランチする子が友達?

月に一回飲む子が友達?

年に一回会うか合わないかのかも友達?

中学(高校)時代仲良くしてたけど高校(大学)離れて疎遠になっちゃった子は友達?

子供の頃絶交して大人になってから会った人は友達?

クラスメート、は友達?

一度は友達だと思っていたけどもうずっと連絡を取り合っていない子は友達…?

「友達」の定義って「恋人」より難しいと思う。


私にはほとんど友達がいないと思っていた。

たぶんさっき、羅列した上位の部分を友達だと認識してたんだろうね、私は。

そう、だから怖かったんだよね「ほしい物リスト」公開すること。

でも、今回大勢の人から支援物資を送ってもらったり、お手紙をもらったり、電話をもらったり、「自分の病気と助けてほしい思いを公開することに勇気をもらった」とメッセージをもらったりして、私は改めて大切な人が誰かわかりました。

今回私と繋がってくれた人は、私にとって間違いなく友達だ。(先輩もいるけど)

私は、今回私を助けてくれたり繋がったりしてくれた人のことを勝手にすごくすごく大切な友達だと思いますよ、いいですか?

だから、お願いします。

苦しくなったら助けてって言ってください。

今度は私が、その時の私に出来る限りの力を振り絞って助けます。


①苦しかったら周りに頼る

②助けてくれたら感謝する

③次相手が困ったら助ける

④そうして繋がりが保たれる

⑤これが友達


私はそういう認識でいきます。


昔々、母が「本当はいつも会う人には年賀状は出すものじゃないんだよ」と言いました。

今日、その意味がわかった気がしました。


あなたのこと忘れない