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人生、最初で最後のライブを終えた。


人生で初めて、都内のライブハウスのステージで、歌を歌いました。

もう終わり。20代最後にこんな経験ができて本当に良かった、もう心残りは何もないや。またステージに立ちたいとも、もう思わない。全部置いてきた。そう、思いました。


◇◇◇



自分の歌なんか大嫌いだったのに、すごく厄介だったのは、歌を歌うことが、大好きだったことです。

「どうしてメメちゃんはメメちゃんの声に生まれたのかな」

ライブに出る前に、私に歌うことを教えてくれた人が、そんな風に言いました。そんなこと、考えたこともなかった。この声じゃないほうが、ずっと良かったから。

かつてはCDの中からしか聴こえてくることのなかった“特別な才能”は、容易く、誰でも見つけてしまえるような時代になりました。惹き込まれるような歌声の人も、ずっと聴いていたくなるような歌声の人も、いくらでも、どこにでもいるような、そんな気さえしてしまう。

自分はそんな風に歌えないや。

そうやってずっと、うじうじしてた。

だけど、その人は言いました。
「じゃあその憧れているような歌声に近づきたくて努力したとするじゃない?そうするとね、喉や体に異変が出たり、心が苦しくなったりするの。どうしてメメちゃんは、メメちゃんの声に生まれたのかな。唯一無二のメメちゃんの声、声の揺らぎ、癖、それがメメちゃん自身の魂の形だと思うの。」


それでなんだか素直に「あ、そっか。」って思ったんです。私はこれまでの人生の中で、この声で、喉の形で、口で、たくさんの人といろんな話をして、笑って泣いて生きてきたんだって。だから今この声が私の今までの音なんだって。そんなふうに考えたのは初めてで、そしたらなんだか納得がいって、そうなんだって、じゃあこの声で歌を歌おうって、そうやって思って、ステージに向けて、練習しました。

私に歌うことを教えてくれたその人は、自分の声を好きになることは、人はみんな難しいと思うとも言いました。特に努力をしてきた人ほど、そのままの、ありのままの自分の声を受け入れるのはきっと、少しだけ難しい事なのかもしれないって。私はその人の声が大好きです。その人の歌声どころか、話す声、笑い声さえも、ずっと聴いていたいとそう思ってしまう、とても魅力的な声です。

「いいな」って。心から思っていたから。だから思わず、言ってしまったことがありました。「顔はいくらでも整形できる、メイクできる。でも、声って、どうしようもならない。ありのままを受け入れる他に出来ることってない。」って。私が大好きな声のその人が、自分の声やしゃべり方を「あんまり好きじゃない」と言うのが、そのことがなんだかとても、「こんなにも素敵なのに」って、辛くなって。だけど、その人は、本気で歌手活動をしていた人でした。きっと私には計り知れないほど多くの絶望も苦しみも焦燥も嫉妬も抱えて、それでも今も歌と向き合っている。

私なんかの「経験できて良かった」なんていう、それだけの浅はかな気持ちを踏み倒したくなるくらいの努力の上に立って、それでも私に歌うことの楽しさを教えてくれたんだなって、一気にいろんな感情の渦に飲み込まれていきました。


◇◇◇


ライブに向かう途中、JR山手線の車内で、ラジオを聞いていました。


「練習でできたことしか、試合でできない。
でも逆に言えば、試合でできたことが、自分の実力なんですよ。仮に練習でできてなかったとしても、試合でできたらそれは実力なんですよ。ただ、練習したことじゃないと試合で出ない、それは確実なことです、基本は。様々な練習から積み重ねられた刹那の一撃を信じるという、そのための練習ですからね。」

歌を歌おうと決めてから、半年くらい、一生懸命に練習をしました。

歌を歌えるようになりたいと思った最初の最初は、ギターを練習しながら気付いた自分のあまりのリズム感覚の無さでした。え、こんなにも自分ってリズム感覚なかったんだって、衝撃を受けるレベルのもので、それはそれは、ギターの先生にしても私に歌うことを教えてくれた人にとっても、手を焼いた生徒だったことと思います。

それでも歌うことを教えてもらうようになってから、ギターの先生から「なんでいきなりリズム感覚良くなったの!?」って言ってもらえることが増え、ギターでなんとなく曲を弾けるようになってからは、歌を教えてくれた人にまで「ライブを開催することが自分の夢になった。いつか一緒に歌いたいね。」なんて、そんな言葉をもらい、どちらへも、プラスの影響になりました。

歌を練習してるとか、ギターを練習してるとか、そうやって言ったら「え、なんか歌ってみてよ」「なんか弾いてみてよ」って急にふられそうで、期待に応えられるようなものじゃないから言えなかったけれど、これからは、ステージの上じゃなくて、そんな「なんかやって」の即興に喜んで応えられるような、そんな楽しい音楽ライフを歩んでいければなって、そう思います。

分からないから誰かに教えてもらう。習ったことを身につくまで練習する。それが学ぶことだって、身をもって分かった。楽しかった。無駄だったことなんて、ひとつもなかった。

へたでも、グレずにひねくれずにぜんぶぶつけていい音楽という場所で、すべてを諦めなかったから見れた、20代の最高の舞台でした。


一生忘れないと思います。楽しかった。



これは、ほとんど、嬉しかった言葉の記録です。
人生初めてのステージで、こんな言葉をくれる人が1人でもいたことが、私が歌を歌った意味だったって、そう思うから、ぜんぶそのままに、此処に残して置かせてください。私には勿体無さすぎる、ほんとかなって今でも疑ってしまう、そんな言葉だけれど。


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「きっとメメちゃんの大切な人や、大好きな人は、メメちゃんの歌声や声を聞いて、『あぁ、とっても好きだな』とか『安心するなぁ』って言うと思うの。メメちゃんとどこかで繋がっている、分かり合える人も、同じように思うようにできていると思う。間違いなくメメちゃんの声は、唯一無二の、大切な、キラキラ光る、原石のようなきらめきと美しさと愛らしさを持った声だと思う。だからこそ一つ言えるのは、今のままの声がずっと続くわけではないと思うって事かな。なんとなく自分の声を少しずつ受け入れて行って、そうすると次の段階に進んで、自分の声の種類の中に、自分がピンとくる理想がなんとなく浮かび上がってくると思うの。それを、体と心を観察していたわりながら、追い求める。それがまた次の段階だと思う。そして歌を聞かせてもらって思ったのは、感情に届いてるよって思ったの。感情に、訴えかけることができる歌い方だった。そして、ライブの時はそれが1番大切で、それでいてそれが1番難しいの。そして、それが歌にも佇まいにも出ていて、本当に素敵な人だなって、みていて思う。反省点もあるだろうけど、ここまでできた自分に達成感もとても感じてると思うの。今はそれをできるだけ長く、噛み締めてね。」


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