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明日、東京ドームに立つ君へ


“プロとは、自分がやりたいこととお金を稼げることが一致していることだ。”

そんな言葉を心の引き出しから出しては仕舞って、仕舞っては出して、お金を稼ぐことと、趣味との違いを、一生懸命に反芻した1年だった。


2024年が、終わる。



***


30歳になった。

結婚した。

私が私として、【少女】でいられる期限がおわったと、そう思わざるを得ないような感覚があった。


この一年を通して、作品やステージを見ながら胸を打たれ、引き込まれた傍らで、ほんの少しだけ掴めた夢の端っこから、手を、離してしまった。

それは、2023年までの自分が、欲しくて欲しくて堪らなかったものだった。

そこに辿り着くために映画監督に会いに行ったし、自分の足で映画プロデューサーのもとまで話を聞きに行ったりしたのも確かだったし、そういう時間が、嘘偽りなく心から楽しかったのは本当で、20代に、もがいて、足掻いて、必死に手を伸ばしてきたものだった。

映画のクレジットに名前がのるなんてこと、そんな、ありもしない夢を見ていた。


20代のさいごに、日比谷の東宝試写室で、公開前の映画を観せてもらった。映画を投映するためだけに48脚だけある部屋の中には、映画館特有のポップコーンの甘だるい匂いも家族や恋人同士の笑い声もなく、ただ作品の色彩や、音楽や、言葉だけが、自分に向かって降ってくるような、そんな場所だった。

創るプロ、という人たちが、確かに存在するのだということを、実感した。

“プロとは、自分がやりたいこととお金を稼げることが一致していること”

自分のやりたいことをやるだけでは、ただの趣味で、プロは名乗れない。

「共感」「影響」「拡散」、、、そういう確かなものが、絶対的に必要だった。

私はそれを、「受け取る」側の人間だ。


それでいいのだと蓋をして、20代に終止符を打った。もう、一般的な大人の女性になるのだと。夢を追う時間は終わったのだと。「普通」であるというある種の幸せが、私を30代にするための最後の後押しとなった。



2024年
受け取った素晴らしい作品



⚫︎映画
・原作・プロデュース:川村元気 音楽:小林武史 『四月になれば彼女は』
・監督:クリストファー・ノーラン 『オッペンハイマー』
・主題歌:BUMP OF CHICKEN「邂逅」『陰陽師0』
・『キングダム「大将軍の帰還」』
・『ミッシング』
・『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

⚫︎Netflix
・脚本:坂元裕二 『クレイジークルーズ』
・『地面師たち』
・『timelesz project -AUDITION-』

⚫︎コンサート
・中島みゆき 国際フォーラム
・BUMP OF CHICKEN 有明アリーナ
・浜田省吾 長野ビックハット
・セカイノオワリ 長野ビックハット
・手嶌葵 銀座ブロッサムホール
・BUMP OF CHICKEN 埼玉ベルーナドーム
・Mr.Children さいたまスーパーアリーナ
・BUMP OF CHICKEN 京セラドーム大阪
・UVERworld 長野ビックハット 1日目
・UVERworld 長野ビックハット 2日目

⚫︎ドラマ
・『海のはじまり』 脚本:生方美久 P:村瀬健
・『【推しの子】』

⚫︎本
・『ともだちは海のにおい』工藤直子
・『ぼく モグラ キツネ 馬』川村元気訳
・『成瀬は天下を取りにいく』宮島未奈
・『成瀬は信じた道をいく』宮島未奈
・『バリ山行』松永K三蔵 第171芥川賞
・『風が強く吹いている』三浦しをん





世界には、読み終わるのが惜しいくらいの本がある。二度も三度も見返したくなるような映画がある。日々に溶け込み何度でも力を与えてくれる音楽がある。歴史を紐解く名画がある。来世まで残る写真がある。そして、ある一つの「作品」が、思いもよらぬ形で、誰かの人生を劇的に変えてしまうことがある。

あの本に、出会えたから。

この映画を観たから。

この作品に、触れたから。

ある一つの「作品」が、ただの流行に留まらず、未来永劫の“文化”として伝え続けていく意思を持ってしまうことがある。歴史には刻まれない世界の何処か片隅で、作り手の知らないうちに、誰かに将来の夢を与えてしまうことがある。誰かと誰かの愛のきっかけになることもある。その愛が新たな命を育むこともある。国境を越えた和平にまで繋がることすら、本当にあるのだ。


そう感じるライブに行った。心臓が、震えた。



◇◇◇


Mr.Childrenが長野市民会館に来た1994年に、私はこの世に誕生した。

そこから2009年「Mr.Children Tour2009 -終末のコンフィデンスソングス-」のツアーまでずっと、彼らは幼い私にとって“CDの中の人”だった。

ミスチルのCDをラジカセにセットして、寝る前に聴きながら眠りにつく。なんのアルバムにしようかなと、選ぶ時間が好きだった。

その頃にはもう、既にミスチル史に残る名曲は数多くリリースされていた。

CROSS ROADが発売された時、私はお母さんのお腹の中にいた。きっと最強の胎教だったに違いない。桜井和寿が「100万枚売れる曲ができた」と言って完成させたこの曲は、有言実行通りミリオンセラーとなった。そして、私がこの世に生まれて間も無くinnocent worldがリリースされ、その数ヶ月後にはTomorrow never knowsという怪物楽曲が世に放たれた。200万枚を優に超える大作となった。私が0才だった頃、彼らはすでに、偉人だった。

そんなMr.Childrenというバンドの生演奏を初めて聞いたのは、15の春だった。地元の一番大きいコンサート会場にMr.Childrenが来るということで、父がチケットをとってくれた。チケットがハケすぎて、急遽ステージ裏も客席として開放され、彼らを360度囲むようにして客席ができた。私と父の席は、その追加先のステージ真横のスタンドだった。

コンサートというものをステージ真横から見下ろすという経験を、私はあれ以来したことはないが、圧巻だった。真横からではあったが、歌う桜井和寿を肉眼ではっきりと見ることのできる距離にいた。

私が人生で初めてみた「ライブ」がMr.Childrenを真横から観るという体験だったが故に、ライブとは、こんなにも生音の中に吸い込まれてしまうものなのだということを知って、身震いがした。

その2年後の2011年「Mr.Children Tour2011-SENSE」のチケットも、お願いしますと父に頭をさげ、ミスチルが生む音符の中へ連れていってもらったにも関わらず、親の心子知らずで、「めめ、大きくなったらすきなひととミスチルのライブに行く!」と宣言したことを今でも覚えている。

それから随分と長野にミスチルはやってこなかったが、ようやく巡ってきた2023年のホクト文化ホールは、コロナ明け久しぶりのライブとあって、争奪戦すぎてチケットを取るこが出来なかった。ファンクラブに入っているのにチケットがとれないで有名なMr.Children様だ。諦めもつく。

それでも音源が発売されるたびに、大切にアルバムを聴いた。



◇◇◇



夢追い人は旅路の果てで一体何を手にするんだろう
嘘や矛盾を両手に抱え「それも人だよ」と悟れるの?
愛すべき人よ 君に会いたい
例えばこれが 恋とは違くても

Everything(It's you)


「夢をもつことは素晴らしい」

子どもは、事あるごとに将来の夢を聞かれる。夢に対するポジティブな価値観を植え付けられながら育ち、大人になる。大人になった時に、自分が描いた通りの未来じゃなかったとしても、その時にはもう「子供の頃の夢ってなんだった?」って、夢は酒のつまみくらいにしかならなくなる。

夢追い人は旅路の果てで、一体何を手にするんだろう。

本当に、本当にその通り。


桜井和寿がこの歌詞を、どんな思いで書いたのかは知らない。どんな思いで、メロディーに乗せたのかも知らない。だけど、その葛藤も苦悶も悲嘆もすべて、自分のものだと受け入れて、いつだってあるがままの心を曲にしているからこそ、Mr.Childrenの曲はいつも、どの世代にも響く。

うまくいかないこともある。綺麗事だけじゃ生きられない。そんな日常が、そのまま歌に閉じ込められているから。その一曲が、様々な人の耳に届き、それぞれの数多の物語をつくる。それを聞いた人たちが、それぞれの人生に投影して。






9月、赤蜻蛉が隅田川のほとりに飛ぶのを見た。その日の夕暮れ、仕事終わりに恋人と待ち合わせをして、区役所まで婚姻届を貰いに行った。

「仕事の間にとってこよっか?それかネットでもダウンロードできるらしいけど。」そう言ってくれていたのを断って、2人で貰いにいくことを提案したのは、私のほうだった。

「一緒にもらいに行きたいんでしょ」と、ちょっと驚きながらも見透かして笑う彼を見て、あぁ私はこの人と結婚するのだと、じんわりと、そう思った。

『結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。』

ゼクシーの、あの広告を反芻する。

婚約指輪も、結婚指輪も、結婚式も「要らない」と言う私が、婚姻届を一緒に出しに行くならともかく、用紙を、たかが紙切れ一枚を、一緒にもらいに行こうだなんて、少し驚く彼の顔も納得がいった。

それでも、夢を追うことを、もういったん手放してでも、人生の続きを、家族とやらを、この人とならば育んでいきたいとそう思えた今日を、大切にしたかった。

「世間知らずだった少年時代から自分だけを信じてきたけど、心ある人の支えの中で何とか生きてる現在の僕」は、こういう節目を、大切にしないといけないんだと、目の前のひとつひとつに心を込めるべきなんだと、そう思えたから。


2人でもらいにいった婚姻届を持って、父のもとへ会いにいった。

「お父さん、私、好きな人とミスチルのライブに行ってくる。」

父は、何も言わずに小さく笑って、承認の欄に名前を書いて、食べきれないほどのケーキとおやきを焼いてくれた。


初めて父とミスチルのライブに行った15のとき、あの日思い描いた「いつか、好きな人とミスチルのライブに行きたい」というアレも、ひとつの小さな夢だと気付いた。

その夢が叶った日、私は、好きな人の妻になった。

承認の欄にある父の名前をもう一度確認してから区役所に婚姻届を出して、ミスチルのライブ会場まで、ゆっくり、手を繋いで歩いた。


◇◇◇


「ハル!“晴れ”って書いて、一文字で晴!」

空の青をゆびさして、彼が言った。

もしも子どもを授かることができたら、名前をハルと付けたいと、そう言った。

「ナツ!“永遠に紡ぐ”って書いて、二文字で永紡」

春の次には必ず夏がくるからと、日本の織りなす季節の移り変わりが好きな私が考えた、深いようで浅いその名前は、2番目の赤ちゃんに怒られそうな案だ。

結婚初日のバカらしい会話にはぴったりの、それでも「いつか」のための、幸せな会話がお供だった。


この先困難なことも必ずあるだろうけれど、ただここにあるということを、ずっと讃えあいましょう。

ハレルヤ


そんな会話をして向かったMr.Childrenのライブの最後で、ハレルヤを演奏してくれた時、彼と顔を見合わせて笑って、手を繋いで、聴き惚れた。


「Mr.Childrenは、俺たちの仲人だな〜。」


ライブの帰り道に彼が言った一言が嬉し恥ずかしくて、聴いたばかりのEverything(It's you)を歌いながら誤魔化して笑った。


◇◇◇



「メメちゃん、なんで歌もギターもやめちゃったの?」

そう聞かれて、なんでなんだっけ?って、自分で分からないことに笑えてきた。

夢を追うのをぐっとこらえて、一層のこと、ぜんぶ放り投げてしまった。

30後半になっても、「大切な趣味なんだ〜」ってニコニコ格闘技の話をする夫を見ながら、私が、夢を追うことと趣味を楽しむことをごちゃごちゃに混同していたことに気が付いた。夫の趣味は格闘技で、休みのたびに練習に行くし、試合に出るし、この前なんてアジア大会で銀メダルをとって、表彰台に上がった。練習終わりには「今日は負けた〜悔しい〜」って本気で悔しがっているし、本業なんだか趣味なんだかこっちが分からなくなるくらい、人生のプラスの方向に、趣味の時間を費やせている。それが羨ましくて眩しくて、悔しかった。

それでも、「ただの趣味なのに本気になるっていうのがいいんだよ〜」と、柔らかく話す。

何も、ぜんぶ、やめること、なかったんだ。


お金も大切だし、時間も大切。だけど、別に、歌い続ければいいんだし、誰に聞かれなくたって弾き続けていいんだし、こうやって、とめどなく、文を書き連ねたっていいんだった。


20代の自分にしか輝きがないのだと諦めていた自分が、いちばん自分自身にNoを突きつけてしまっていたのかもしれない。


夕暮れ4時の銀座の街を、リリー・フランキー『スナックラジオ』を聞きながら歩いていると、リリーさんがクリント・イーストウッドの話をしていた。


「時として、運命が、運命の方から意思を持ってぶつかってくることがあるからね。」


出会うべき人には、出会うべきタイミングで出会うのだということを、なから本気で信じている。やっぱりそういうのを「運命」みたいなものだって、思ってもいいのかもしれない。


夫の名を、陽一という。

“太陽のように明るく、一番に”と、父に、そう名付けられた彼は、その名に恥じないような人生をちゃんと歩んできたのだと察する。

「2人で暮らすと、2人でやれば大変なことは楽になっても、2人分を1人でやることになったら大変だよね。」

そう言って、家事も家計も半分こしてくれる。

2人でなら、やっていけると、思わせてくれる。


ニュースが好きで、熱心に新聞を読んで、ぶつぶつと世界にたいしてとりとめもない興味をもって、次の日には忘れていたりもする。

かっこいいくらいに「普通」が似合う、普通の幸せを普通に享受できる、そういう人だ。

それでいて世界の奥行きの話ができる。

それがとても嬉しくて、恋をした。



2024年。

30歳になった。


少女では、もうとっくになくなっていたんだ。

だけど、好きなことはずっと好きでいていいし、趣味は普通に生きることをこんなにも肯定してくれる。

好きなことを、好きなだけやろう。

人と共生しながらも、自分が思うがままの時間を、好きに過ごすことを、忘れずにいよう。

自由であることを忘れないでいよう。

そう思い直した。


2024年、サンキュー、グッバイ。



歌を習う前、ただ「すき」だけで歌っていた頃の、ピッチもリズムもグチャグチャな歌声。
歌うことがただ好きで、楽しかった宝物のような記録。

YUI  good-bye days    



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