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小説を映画にするということ、真夜中の在り方。



芸術は決意だ
決意した瞬間に始まる
自分の書いたものを人にみせることは恥ずかしい

それでも人にみせる

そう決意した瞬間から芸術だ

腹いっぱいになるだけじゃなくて
胸いっぱいにしてくれるのが 芸術

岡本太郎


15歳の頃、いつか、映画を撮りたいと、そう思っていた。

「いつか」という言葉には無限の可能性があると、信じて疑わなかった頃のことだ。

20歳の頃、その為には映画原作となる小説を書きたいと、そうも思い始めていた。

「書かなければ」じゃない。

「いつか、書くんだろう」と、それくらいの気持ちだった。


20代前半に、仕事や遊びで埋没した夢の破片が粉砕して25歳になり、急に東京に行こうと、バカの一つ覚えみたくそう思った。その翌年には東京に行った。26歳がどういう年なのかということも、あまり考えていなかった。遅いのだということもあまり思わなかったし、焦りもなかった。


ただただ、東京で触れる「ほんもの」に、胸がいっぱいになった。生の音。空間いっぱいの絵。まるでギターが生きているかのような音の出し方をする人。映画監督。脚本家。


そういうものに触れている時間は、あっという間に過ぎた。


自分がそんな芸術の端っこに食らいついて、芸術でお腹いっぱいになれるなんて、微塵にも思わなくなった。ごく平凡な、夢見る一般人だと自覚した。


とある日のことだった。ひょんなことから、漫画家先生と、手比べをした。ゴツゴツとした大きな手だった。「手のひらの、柔らかい部分が無いんだよ。ずっと描いてるから。」そう言っていた。この手から、ゴルゴ13が生み出されているとを思うと、分厚くて、優しくて、かっこいい職人の手だな、と、そう思った。

東京は、面白い街だ。ちょっとの奇跡を含みながら呼吸する母胎みたいだ。会ってみたい人に、会いたいと願っているだけじゃ会えなかったり会おうとしてもダメだったりすることもあるけれど、それでもなぜか、東京にさえいれば、いつか会える日がくるとそう錯覚することがあった。雑多で小さな面積なのに、いろんな人が一同に介する余白があって、飲み込まれそうなほどに深くて巨大だ。「東京は狭い」と言う人に、「大東京」と言う人に、「東京は住む場所じゃない」と言う人に、「東京を生きたい」と願う人に、本当に人によって様々な顔を見せる東京というこの街が、私にとっては、ひとつの、大芸術だった。


◇◇◇


「私、長野県の出身なんです。コロナ禍に上京するまでずっと、満点の星空の下で暮らしていたんです。」


ただ、事実だけを、話し始めた。


「見上げると、本当にきれいな星空があって。
東京の人がきっと『渋谷行こー』って言うみたく、そう言う感覚で、『星見に行こー』って、真夜中に、ただ、丘の上まで、星を見に行っていたんです。」


目の前のMCは、ふんふんと、私の話を聞きながらメモをとっている。


「で、今回、タイトルを『ミッドナイト・ユース』にした理由とは、どんな繋がりがあるんですか?」

『人生を映画に例えるならば、タイトルは何にしますか?』

そんな質問に対する事前の問いかけに、私は『ミッドナイト・ユース』と答えていた。

「ミッドナイト・ユース。これには“真夜中の若者たち”という意味と解釈しています。真夜中に星を見ながら話したあの時間が、確実に今の私を作ったから。東京に行くのを決めたのも、東京に来てからもっと歌がうまく歌えるようになりたいと思ったのも、歌詞や小説を書いてみたりしたのも全部真夜中で、そうやって、真夜中にたくさん考えて、そしてたどり着いた此処が今なので、映画にするなら真夜中のあの時間をタイトルにしたいなって、そう思って。それで。ミッドナイト・ユースにしました。」


『ミッドナイトユース』ー“真夜中の若者たち”


原案は、父だ。父が中学校時代に学校の友達と録音していたラジオの番組を収録したカセットテープに書いてあった名から貰ったものだ。父もバンドを組んでいて、大切な友達がいた。

ひとしきり友達と喋り、合間合間で「では聞いてください。女郎花で、雨上がりの夜更け。」などとラジオパーソナリティの真似事をして、自分たちが録音したバンドの曲を流す。そんな遊びを閉じ込めた数十年前のカセットテープが、まだ聞ける。携帯電話普及以前の思い出を閉じ込めておけてあることが、ただただ、凄い。


人生を映画にするならという、人生単位の質問に
“ユース”とつけたのは、ユース世代を過ぎた先に希望がないからではなかった。

私は、確かに自分の20代を生き切った自覚がある。

ものすごく楽しい20代だった。ちゃんと生きた。笑って泣いて、強がって頑張って諦めて願ってもがいて、そんな毎日を、ちゃんと生きた。

だからこそ、30代の私にも、40代の私にも、そしていつかおばあちゃんになった私にも、この20代の自分自身の思い出を、その歳なりのやり方で超えてみなよっていう、ほがらかな挑戦状のつもりで、そうつけた。

“真夜中の若者たち“ほど、自分たちのことを最強だと思えている生き物は他にいない。真夜中に大好きで大切な友達といると、もう一生幸せで、笑えてきて、なんでもできるような気がしてしまう。どこまでも歩ける気がしてしまう。

朝が来て、学校や仕事に行って、また嫌なことがあったり辛くなったりもするけれど、絶対にまた夜が来て、真夜中に会いに行けば悩みや葛藤を気が済むまで語り明かせる友達がいて、何が楽しいのか分からないほどにただ楽しくて、一緒にいるだけで笑いが込み上げてくる、そんなバカみたいな時間の溶かし方ができるのは、きっと、若者の特権だったはずだ。

それでも。

「私にとっての20代の思い出という財産は、どんな宝石を持っているよりも幸せで、豊かで、嬉しくて、自信を持てる時間を過ごした記憶をちゃんと持っているっていうことだと思うんです。だけど、それにしがみついたりはしない。30代は、どうなものを見つけられるかな。ユースを超えていけるのか、それともいつまでもユースの気持ちをもっていられるのか。どちらでもいいと思います。どちらの意味も、込めています。」

「なるほど。分かりました。では詳しくは後ほど。5分後、出番です。ステージ裏へ向かってください。」



血は争えないな。と、そう思って笑った。


父に似て、表現が好きだ。


本当に好きだ。


◇◇◇


「出してみればいいじゃん。ヤンシナの応募資格だって“自称35歳以下でプロのシナリオ作家を目指す者”だけど、あれって自称だから、実際は何歳でも応募できるんだよ。」

そう言って父は付け加える。

「リリーさんのラジオアルバイト、自薦他薦問いませんって言ってたから、娘の推薦状メール、送っちゃったんだよね。読まれなかったけどね。」

いたずらのように笑うその顔に、やっぱり、血は争えないなと、もう一度、同じことを思った。


リリーさんが60になった時、インタビューで答えていた言葉を思い出す。


「60歳になりました。初老ですね。でもね、60歳は、60代の中では一番若手だからね。下手したら初老なんて言ったら先輩方に怒られますよ。まだまだだって。70歳は70代の中で一番若手。80歳は80代の中で一番若手。そういうもんですよ。」


今年、30歳になった。

30代の中では、一番のぺーぺーだ。

ぺーぺーなりに、また1から、新しい『ミッドナイト』を楽しもうと思う。大人の嗜みも楽しめる余裕とか、大人だからこそ似合う場所とか、出会える人とか、ね。

大人としての、多方面の「いい感じ」をちょっとずつ自分の中にも染めていく。そんな歳の重ね方を、また、やっていこうと思う。


芸術は決意だ
決意した瞬間に始まる
自分の書いたものを人にみせることは恥ずかしい

それでも人にみせる

そう決意した瞬間から芸術だ

腹いっぱいになるだけじゃなくて
胸いっぱいにしてくれるのが 芸術

岡本太郎
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