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邂逅
noteを始めて今年で5年目になる。
それはつまり、同時に東京の街で暮らし始めて5年の月日が過ぎたということだ。
最低でもひと月に1度、多くはないが、ネットの海に向かって投稿を続けた。
自分の今のありのままの感情、過去に考えていたこと、感じたままの気持ち、経験の整理、これからの未来に対して思うこと、ありとあらゆる、様々なことを書き連ねてきた。これが雑記なのか、エッセイなどと呼べる類いのものになったのか、それはどうでもよかった。ただ楽しかった。とても。
20代の後半に、こんな5年を過ごしたことで、幼少期の精算と、青年期への整理がついたという感覚が強くある。
それをとても、幸福に思う。
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◇◇◇
新しく生きていく場所からは、相変わらず、窓から隅田川が見える。
水面のキラキラも、水上バスがゆくのも変わらない。
ひとつだけ、大きく変わったのは、窓から見えていたランドマークが、東京タワーではなく、スカイツリーになったことだ。
東京タワーが、好きだった。
あのオレンジ色にぼうっと光る灯りが、とても好きだった。
あの下に行けば、救われる気さえしていた。
今、私は、眼下に広がる東京タワーの反対側の街並みを眺めながら、記憶の中でぼうっと光るオレンジを、記憶から辿ることしかできない。
◇◇◇
上京したての5年前、世界中で毎日感染者数がカウントされ、コロナ禍で全く人のいなくなった新宿の街をひとり、椎名林檎のギブスを聴きながら走り回ったことを思い出す。
大手町のゴツゴツのビル群を、ミスチルの東京を聴きながら隙間を縫うように散歩をしたのも楽しかった。
もぬけの殻みたいになった静かな渋谷にも表参道にも行って、ちょっと声に出して歌なんか歌ってみたし、何より、エルレの風の日を聴きながら銀座をスキップしたあの夜は、本当に楽しかった。
西側を見ればスカイツリーが、東側を見れば東京タワーが、いつだって鮮やかに川面にうつるこの街並みを、私は特別に思ってきた。
まだ田舎にいた頃、高校生だった私が、屋根に降りることのできた小窓のあるあの小さな2階で、スカイツリーが高くのびていくのを知ったのは、Plastictreeというバンドの竜ちゃんがそれを教えてくれたからだった。
「窓からスカイツリーが見えるよ。」
「今日もまた少しだけ伸びた。」
「今日もまた伸びた。」
本当かなぁ?
そうやって笑って、Twitterから知る東京の街を想像して、窓からスカイツリーが見える竜ちゃんとクロのいる部屋のことを考えて、学校をサボって、プラの讃美歌やメランコリックを聴いた。
建設途中のスカイツリーがどんな形で、どんな色をしているのかなんて、本当は、どうだって良かった。もっと言えば、スカイツリーが本当にあるのかどうかさえも、なんだってよかった。
◇◇◇
脚本家・坂元裕二が「ねぇ、スカイツリーが完成したら、東京タワーって壊すの?」「どうやって壊すのよ、あんな大きなもの。」そんな台詞を書いた脚本が、ドラマになった。
大根が出てくるドラマだった。
大根の種まきをするシーンを見て、私は初めて、大根の種が大根のどこに出来るのかを考えた。
大根は、根っこだ。
土の下へと根を伸ばす、太い根っこだ。目には見えない。いつも、土の中にいる。大根の葉っぱが育って、花が咲いて、その花が枯れて、種が出来る想像は、しようと思わないと出来ないものだった。
大根ばかりを当たり前のように食べていると、大根がまるで主役の実みたく思えてしまう。大根を割っても種は出てこない。土の上に出て、目に見えているはずの花が咲いているのに、私はその下の根っこのことばかりを知って、分かった気になっている。大根の花を、私は知らない。
普通なら、見えているきれいな花ばかりを気にして、見えない部分にまで想いを馳せるのは難しい。
だけど、そうじゃないこともあるんだって。
逆のこともあるんだって。
大根のことを思いながら、そんなことを、考えていた。
『見えないモノを見ようとして、見えてるモノを見落として』
あー、そういうことだらけなのかもしれないよなぁ。藤くんがそうやって天体観測の詩を書いたのは21の時で、21歳の哲学をすべて詰め込んだ歌だって、どっかの雑誌で言っていたのを読んだのが、いまだに記憶の隅にある。
スカイツリーが上へ上へと伸びていく間、大根は下へ下へと根を伸ばす。
スカイツリーが完成した。坂元裕二が書いた大根のドラマは、地上デジタル放送で、完成したらしい高い電波塔から送信された。
屋根に降りることのできるあの2階の小窓のある我が家にまで、ちゃんと届いた。
ちゃんと届くものが、ぐんと増えた。
言葉が書ける人のこと。
竜ちゃんの紡ぐ詩やメロディーを未だに口ずさめてしまうこと。坂元裕二が書く脚本の台詞を食べて飲み込んで自分の養分にして蓄えたくなる衝動。
私もやっぱりご多分に漏れず、ちゃんと大人になった。
スカイツリーがある街並みが当たり前になった東京の街を、改めて、見下ろしてみている。
◇◇◇
新年度、春がくるたびに、反芻する。
誕生日は、どんな関係性の場合に、お祝いすることが許される日なのだろう。生まれてきてくれたことを喜んで祝ってもいいのは、どんな立場からなのだろう。
私が勝手に好きだっただけだ。
とても、好きだっただけだ。
大切な思い出は、大切にすればするほど、色褪せるどころか記憶の断片に色濃くこびりついて離れない。
厄介だ。
声が聞きたいと思ってしまう。
話をしたいと思ってしまう。
会いたいと、思ってしまう。
それでも恋愛にならないことを知った。
◇◇◇
朝起きると、家の前の公園の桜並木が、全部切られていた。
申し訳程度に貼られた一枚の紙っぺらに、電線整備のために隣町に植え替えますと、そう書いてあった。
そっか。桜も、引っ越しをしたんだ。
知らないうちに、どこかへ行ってしまった。
この土地の大地に根を張って、ただこの場所で春になるたびに、咲いていただけなのになぁ。
桜の木の少し上にある電線を整備するためには、ただ咲いていただけの桜など、簡単に植え替えられてしまう対象だ。そうか、そうだよな。正しく整えるためには、その正しさにとっての不都合なものは、ちゃんと、失くしていかないといけない。整理していかないといけない。誰のせいでもない。
あの桜は、新しい場所でも、来たる春に、またどこかでちゃんと、花を咲かすのだろうか。
きれいに咲いてよ。
なんにもなかったかのように、元からそこにいたのかのように、どうか、新しい場所で、春が来るたびにこれからもずっと、咲き続きますように。
どんな場所であろうとも、花は咲くよ。
そう信じて、祈っている。
元気でいてね。
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20代最後の写真
思う存分カッコつけて
若気の至りのありったけで楽しんで
ココで生きた証にしたの
笑って。
◇◇◇
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