『コロナ禍』というひとつの時代を、看護師として生きて。
学生時代のスケジュール帳を見つけた。
もう、随分と埃を被っていた。
3月の終わりのページには、そんな走り書きがあった。
希望に、満ちていた。
きつい、きたない、きけん。
そういう仕事に就きたかったのかと言われれば、決してそういうわけじゃない。
「看護師」と検索窓に打ってみて笑えた。
上から順に、
「看護師 ならない方がいい」
「看護師 3K」
「看護師 性格きつい なぜ」
そんな風に検索する人が、沢山いるということが事実ということを、意味しているのだろう。
この『3K』というのが、いわゆる「きつい・きたない・きけん」と呼ばれる3つのKで、看護師の仕事の象徴とも言われている。
【きつい】というのは、夜勤や残業、呼び出し、待機などの勤務形態に関わることから、人の生死に携わることへの精神的な辛さまで、様々なきつさのことを言うのだと思う。
【きたない】というのは、日常的に吐物や排泄物の処理や、おしりの穴に指を入れる「直腸指診」、その指で触れた溜まっている便をかき出す摘便、清潔保持のための陰部洗浄、血液や飛沫に関わる業務、尿道に、肛門に、鼻腔に、管を入れること、その他諸々の、いわゆる『看護師の仕事』のほとんどは、人から汚いと思われることの連続だ。きっと、想像以上だと思う。
【きけん】をあげたら、きりがない。放射線に暴露される可能性、感染症に罹患する可能性、抗がん剤に暴露される可能性、針を扱う採血や点滴投与に伴う針刺し事故のリスク、毒薬・劇薬・麻薬の管理など、常に危険と隣り合わせで働いている。患者さんからの暴言暴力セクハラや、ご家族からのクレームも、無いわけではない。
そこに更に、「コロナ禍」という未知の感染症に対する危機感や不安も積み重なった。誰も、あんな世界的パンデミックが起こるなんて思っていなかった事態だった。社会が変わった。看護師という仕事が怖くなったし、疲弊もした。
どこかひとつを切り取って「それがあなたのやりたかった仕事か」と問われても、即座に「はい」と頷くことはできない。将来の夢を考えていたあの頃に「便の処理をしたい」とも「陰部洗浄をしたい」とも、そんなことを思っていたわけではない。ましてやコロナ禍における対応などは、想像すらしていなかったことだった。
だけど、そのきつい、きたない、きけんと呼ばれるどれをとっても、仕事として「やりたくないこと」はあるかと問われたら、そのどれかひとつをとっても「やりたくないこと」は、何ひとつとしてなかった。綺麗事抜きにしても、何ひとつとして、ないと言い切れる。
それが、私の仕事だからなのだと思う。
◇◇◇
思い返せば、いろんな人の看護をしてきた。
感染症の診断がついたホームレスの方を、自分も感染しないようにと張りつめた思いでN95マスクを装着し、陰圧閉鎖空間の密室の中で、全身の泥を落とした日のこと。何度シャンプーをしても、お湯の中にはフケだか虫だかゴミだかわからない何かが混じり続けていて、N95マスクを装着した上からでも、匂いが分かるほどだった。それでも、思い返せば、ケアをすることが、嫌ではなかった。急性期を脱したその方は、その後一般病棟に移り、理学療法士によるリハビリと行政とのやりとりを経て、生活保護を受け、公園ではない「住所のある場所」へと退院していった。
刑務所の中で心筋梗塞に倒れ、両手に手錠をはめられながら救急車で運ばれてきた人に、手錠のままの手を駆血し採血をした日のこと。暴れる患者さんを警察官が馬乗りになって止める中、鎮静のための筋肉注射を打った夜もあった。全身に刺青、陰嚢に真珠の入った知らない世界を生きる方に、尿道カテーテルを挿入した日もあった。
皆「看護師」でなかったら、絶対に人生において関わらない人だった。
看護師じゃなかったら、ホームレスの方にシャンプーをする機会はなかっただろう。看護師じゃなかったら、できるだけ刑務所の中の人とは遠い場所で生きていたいと思っただろう。看護師じゃなかったら、知らない世界の団員の方とは目を合わせることも恐ろしいと思っていただろう。それが、本音だ。
だけど「私」ならやらないことでも「看護師としての私」だったら迷いなくやる。働くって、そういうことだと思う。
私の知らない場所で「私」ならやらないことや「看護師としての私」でもできないことを、他の誰かが仕事として補ってくれていて、そうやって社会の秩序は保たれているのだと思う。
どんな仕事にだって「やりがい」になる部分もあれば、嫌な思いをしたり、やりたくないと思うこともあるんだと思う。
それでも、それを担う誰かがいる。
そういう「仕事」に、就く人がいる。
◇◇◇
看護師の働く場所は様々だ。
看護師という資格を使って、いろいろな働き方ができる。
もし私が災害現場や事故現場に駆けつける看護師だったとすれば、駆けつけた時にはもう亡くなる寸前だった場合、その人生の背景にまで、思いを馳せることも叶わない状況下においてひたすらに救命に徹することになっただろう。命を助けること、すなわち『救命』は、救急医療における最大の目的だからだ。
看護師としての最初のスタートをICUで切った私は、命とは救うものだと、そう学んできた。だけど、私達が繋がなければならない本物のリアルは、そこから先の場所にあった。救って終わりではない。その方が生き続けるその先の未来のために救命していたんだ。今、訪問看護師という仕事を選び、実際に患者さんのご自宅に行かせていただきながら、それを感じる瞬間が沢山ある。
ICUでは、時に、命だけは救えても、目をさまして少し手が動いて、だけどそれ以上動くことはなくて、そのまま寝たきりの状態になってしまった人もいた。いわゆる植物状態になり、人工呼吸器に繋がれたまま、栄養を入れるために胃に穴を開け、尿を出すために尿道から管を入れ、そのまま退院せざるを得ない人もいた。理想にはほど遠く、奇跡を信じても決して叶わないそんな「リアル」を、何度も見てきた。
「お元気になりましたね!」と言ってお見送りが出来なかった方々を、残念だとすら思う気持ちも確かにあった。
だけど、今働く場所として選んだ訪問看護という現場で、全くそれはお門違いだったことを知った。
1人の方と、何年も、時には何十年も人生を伴走する。ただ管に繋がれたままになっていると思っていた方々にも、その方のその先の人生があった。それを教えてくださった方との、お別れがあった。
妻をずっとそばで支え続けた93歳のご主人が言った。
「こんな状態になっても、心臓が止まらないんだよな。生きているってことは、何か、意味があるってことなんだよな。だから、生きてる間は、頑張るよ。」
自分が先にくたばらないように、と、口癖のように繰り返して、自らアパートの長い長い廊下を決まって10往復して、雨の日も、風の日も、防寒をしてそのルーティンを崩さなかった。
なんで生きているのか、とか、そういうことは、その人自身にだってわからない。心臓が動いているから、だから生きているんだ。生きる意味なんて探さなくても、生きているということそれ自体に、意味があるんだ。それを、この道を選んで、看護師になって9年目で、患者さんから教えていただいた。教科書には載っていなかった。現場で、身をもって、人生をかけて、学ばさせていただいた。
◇◇◇
コロナは終息した。
今や、受診をしても、既往がない方であれば自宅で安静に過ごしてくださいと解熱剤を渡される疾患として扱われている。
防護服を着て訪問する機会も減った。
まだまだ正解がわからないことも多い。迷うこともある。知らないこともたくさんある。また未知のパンデミックが起こるかもしれない。
だけど、関わらせていただいた中で得た多くの学びや気付きに対する自信だけは、揺るがないものがちゃんとある。
そのひとつひとつがまた私の力になって、他の患者さんと対峙するときの糧となってくれるのだと思う。