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信頼関係の上で成り立つ言葉の力

ボクシングはしたことないけど
ボクシングの画像をお借りした

もうダメだ
これ以上は無理だ
誰かタオルを投げてくれ

誰もタオルを投げてくれないので
私は自分で投げることにした

撤退の意思を表明した

リングに上がらせてくれたこと
に感謝を表明した

ずっとサポートしてくれたことにも
感謝した

例え撤退してもここでの経験は私の宝である

しかしもうこれ以上は無理です
あなた方に一切文句はない

私は撤退します

相手はしぶった

やれやれこの人は私が
まだやれると思っているらしい

この人のこの粘り強いサポートで
ここまでやってこれたなと
遠い過去を見るように
私は相手の顔をみた

相手は
もう少しゆるやかなやり方を提案してきた

さっきから私は
ずっと言ってる
これ以上は無理なんだ

私には
説得する気力も残ってない
面倒くさい

仕方ない
もう一度
リングに立つか

立つフリしかできないだろうな
どうせまた辞めにくる
今日はこれ以上話す気力もない

帰る前に
私は言った

わかりました。
やってみます。
それでも無理だったら辞めさせてもらえますね?

相手は了承した。
「その場合は…大変残念ですが仕方ないですね。」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

その日のうちか数日たってからか
忘れた。

とにかく
しばらくしてから
私は違和感に気がついた。

なんだろう?
なんだろう?
なんだろう?

この流れで
文脈的には
残念がるのは
相手なんである。

ところが
私には
相手にとって自分が残念なヤツ
みたいに聞こえるのである。

信頼している人間に
残念なヤツと思われたくない

倒れそうなくらいの状況で
「残念」
こんなゆるゆるの言葉が
強烈に作用してくる

結果私は
引退のその時まで
リングに立ち続けることができた

自分がダメだと思っても
いやまだ立てると強い目で
見張り続けてくれた
この人のおかげである。

言葉というのは時と場合、特に関係性に応じて、とても強力なものとなると私が実感した話である。

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