マネの真似をして印象派は生まれた~「西洋美術の歴史7」
印象派というと、モネやルノワールの名前がまずあがる。
少し詳しければ、その先駆にマネがいることも知られることだろう。
しかし、このマネの革新性がいまいち分からない。
確かに絵はいいなぁとは思うのだが、どうにも現代の視点から脱せないからか。
それを本書を読んで、かなりクリアに理解できた、気がするので紹介したい。
マネが活躍したのは、フランス第二帝政期から第三共和政期にかけて。
政治も大きく揺れていたが同じくらい美術界も動こうとしていた時期である。この時期の美術界の状況をシャルル・ボードレールの言葉を借りて紹介している。
現代性、流行性という主題
それまでの美術は、いわゆる真善美を最高の価値とし、いかにしてその永遠性を表現しようとしたかその苦心の歴史であった。
対してマネが志向したのは、永遠性ではなく現代性であり、流行性とでも言おうかその場限りのはかなさであった。
ボードレールはオスマンの都市改造によってパリに新たに生起した現在の、束の間の美の魅力を指摘し、(中略)そのような「現代生活」の断面を主題として取り上げる意義や価値を「現代性」という言葉に集約し、「現代性とは、一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これが芸術の半分をなし、他の半分が、永遠なもの、不易なものである」と定義したが、永遠の理想美をめざす古典主義的な絵画観が支配的であった時代において、これはまさに美意識の大胆な変革であった。
そしてこの「現代性」という新しい美の様相を油彩画の世界で初めて具現した画家こそが、ボードレールの友人マネである。
この「うつろい易いもの」を表現することから始まったとすれば、印象派を日本人が好むのも分かる気がする。
新たな表現方法の模索
19世紀半ばには、すでに写真は世に出始めていた。
それまでひたすらに写実性を追求していた美術であったが、写真の登場によってその価値は顛倒したのではないだろうか。
だから写実ではなく超・写実、つまり一周回ってざらざらとしたキャンバスや顔料の物質性を際立たせることで、鑑賞者に与える印象を喚起しようとしたのではないか。
マネの絵は「色の染み」を、つまり絵画の二次元性や絵の具の物質性を感じさせるのである。それはまた、物語性や明快な心理表現がマネの絵画から排除されていることと裏腹の関係にあるだろう。(中略)
以上のように、1860年代のマネは、古典絵画を参照しながら近代都市パリの市民生活の諸相を明るいパレットと鮮やかなタッチであらわす画家であった。自律的な造形世界を志向するその作品は次世代の印象派への道を開くことになり、西洋近代絵画の起点となるべき要の位置を占めている。
もちろんマネだけではない。クールベもいたし、その周囲にもフォロワーはたくさんいたという。それでも150年を経てもなお、その作品が世界中で愛されるという点ではマネには及ばない。
まさに、”モネはマネのマネ(真似)をした”ということなのだ。