
巨匠然としたイーストウッド~「パーフェクト・ワールド」
「許されざる者」で大監督の道を歩み始めたクリント・イーストウッド、その次作もその流儀を踏襲するような作品であった。
1993年公開「パーフェクト・ワールド」
なお、↑のイラストは、パーフェクト・ワールドというお題でAIに描かせたもの。
前作に続きイーストウッドは、善と悪の峻別に対して揺さぶりをかけてきている。脱獄犯と少年。少年はもちろん無垢であり善の象徴。そしてその母の愛も無条件な善として普通は捉えられる。しかし、少年は万引きをし、銃を弄び、母は信仰を理由に子供を閉鎖的な環境に押し込める。そんな設定をあえて提示してくる。
人間は善も悪もない。清濁併せ持つ存在なのだ。そういう不完全な存在だからこそ、”パーフェクト・ワールド”なのだ、と。こんな解釈は安直すぎるか。
ケヴィン・コスナーは当時飛ぶ鳥落とす勢いの俳優。でも自分には彼の喋りがどうも生硬に感じられてならない。そういう役者ってたまにいるけど。だからこそ、悪人にも見えず、かといって善人でもない、そういうキャラクターを任されたというなら慧眼ともいえようか。とはいえやっぱり棒演技にも見えたりする。
本作では御大イーストウッドの見せ場はわずか。でも最後の場面なんか、そのしかめ面だけですべてを物語っている。もはやセリフや演技もいらないのだ。
90年代の「許されざる者」以降の作品もあまり語られることが多くないようだが、この作品も見応えのある作品である。やや前作に引っ張られている感じもなくはないけど。