ドイツ美術はなぜみにくいか~「西洋美術の歴史5」
改めて西洋美術史を俯瞰しなおすために、「西洋美術の歴史」シリーズを読んでいるのだが、その5巻は北方ルネサンスを扱った巻であった。
ルネサンスと言えばどうしても、イタリア、ダ・ヴィンチ、メディチ家、というワードが思い浮かんでしまうのだが、同じ時期かそれ以前からネーデルランドやドイツ諸国では同等かそれ以上の優れた画力を持った職人たちが存在していた。
本書では、ヤン・ファン・エイクから始まり、ブリューゲル、ボス、デューラーなどをあげている。そして見出しの画像にも使ったクラーナハも。
綺羅星の如くいるビッグネームにも関わらず、北方ルネサンスがあまり人気がないのはどうしたわけだろうか。本書はその点、このように切り込んでいる。「ドイツ美術はなぜみにくいか」と。
今日でもなおドイツ美術は、イタリアやフランスの美術に親しんだわが国の美術ファンからは、総じて「醜く」、「見にくい」と思われがちで、あまり人気がない。
これに対し、以下の観点で本書なりの回答を示していて、とても腑に落ちたのでぜひ紹介してみたい。
キリスト教という逆説
まず主題たるキリスト教そのものからして、なかなか一筋縄ではいかないモチーフなのだという。
そもそもキリスト教自体が、古代ローマ社会の常識とはかけ離れ、当時の価値観を顚倒させた宗教であった。キリスト教が盛んに活動し始めた頃、タキトゥスや小プリニウスをはじめとする教養あるローマの人士たちには、到底理解し難い集団と捉えられた。
古代ギリシャからの価値観では、真善美こそが最も尊ばれることであり、人間はそうあるべきと考えられていた。当然被造物もその価値観に則ったものばかりであった。
なのに、「大罪により処刑された大工を神の子として崇める」ことや「信徒が率先して死を受け入れる」ことが求められるなど、もはや狂気の沙汰だったわけである。
今もその名が伝わる高名な神学者であるアウグスティヌスは次のように語っていると紹介されている。
入信以前、(中略)聖書の文体や修辞が、いたって無粋、無骨で、洗練からはかけ離れた低俗なものと感じられた。ところが、キリスト教に帰依した後に彼は、むしろこの低俗な文体こそが、キリスト教の聖なる事柄を語るにふさわしいものであると主張しはじめる。受肉という奇蹟によって卑しい人間の姿を得て地上に一時的にせよあらわれ、人間として活動し、刑死した神を信仰するキリスト教徒にとって、そうした神の「謙譲」を述べるにもっともふさわしいのは、(中略)低俗体にほかならない、というのである。ここにおいて、地味で卑俗な外観と、計り知れないほど崇高な内容というキリスト教特有のこの独特の結びつきが公式化されることとなった。
「ともに苦しむ」ための形象
このような逆説の宗教に対しては、信仰の形も先鋭的にならざるを得ない。
人類救済のために苦しみの末に自らの命を捨てたキリストの受難の折の苦しみに、我が苦しみであるかのように共感の念を持ち、信仰心を高ぶらせ敬虔な生活を送ることが推奨されるようになる。
主の苦しみに少しでも共感できるよう、描かれる宗教画や像もきらびやかなものではなく、痛々しいものが表れてくる。イタリアにももちろん見られるのだが特にドイツ中部において流行を見せたという。
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そう思うと、この土壌で育ったにも関わらず同時代のイタリア(真善美の価値観!)で成功を収めたデューラーは一つ頭抜けている感を抱かざるを得ない。
それにしても、顚倒の宗教って、、難しい。
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