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「限りある時間の使い方」を読んで、仕事や家事に対する考えががらっと変わった話。
おはようございます!
今日はOliver Burkemanの、ちょっと哲学的なこちらの本です。
DIE WITH ZEROで始めた「人生カウントダウン」
こちらの「DIE WITH ZERO」の感想記事でも書きましたが、
私が死ぬまでにあと15000日くらいあります。というか、それしかありません。
病気になったら、もっと短くなります。
そのうち子供と一緒に過ごせるのはおそらく4000日くらい。
この前提で「限りある時間の使い方」の本を読み始めたのですが、ワーママである以上、そして生きている以上は「全てをこなすことは無理」ということを真に理解する必要があると思いました。
家電がいくら便利になっても、メールが普及しても、タスクはそれに応じて増えるだけ。
「すべてをできないものはできない」のです。
世の中のすべてを味わい尽くすことは、宇宙まで飛んで行った前澤さんでもできません。
心のどこかで全てを完璧にこなしている(タキマキ的な完璧主婦の存在の罪ですね)というのは幻で、
絶対に、全てはこなせない、と理解する。
限られた時間の中で、何に集中し、何をやらないかを決める必要があるのです。
ところで、私はこの本を読んで、思い出したとある光景があります。
美術館に飾ってある絵画を、どうにかスマホにおさめようとする人の波
です。
私はゆっくりと実物の絵を見たいのに
(特に油絵は、近くでストロークや色の重ね方なんかを、じっくり近くで見たい)、
絵の前で写真をとってはさっさと立ち去る、とにかく落ち着気がない外国人やら日本人の(かつ、視界を遮る)人々のせいで、ブロックされてろくに作品が見れないのです。
私が海外でバックパックしながら各国の美術館を回っていた時も、こんな感じの人(私、当時スマホがないのでカメラでしたが)がいましたが、
20年でこんなにも世界が変わったのか!?と思うくらい、
老若男女みーんな絵に向かってスマホをかざしています。
最近のピカソ展も、マティス展も、ダリ展も、モネ展も、ぜーんぶこれでした。
正直、イライラしました。
私は、ピカソ展に飾ってあった、パウル・クレーの「暗い森の絵」がとても心に残り、その絵は写真に撮りました。でも、それ1枚だけ。
その、カメラの大量のとった写真、いつどこで、だれが見返すのでしょうか?
と思っていたら、こちらの本の中でも「心理学者のスティーブ・テイラーが、著書で古代エジプトの遺物ロゼッタ・ストーンを前にしてスマホ画面ばかりを観ている聴衆」について書かれていました。
今生きている人生を、何かの準備(インスタのポストとか)に使わないといけないという考え方は、
「いつかどこかに本当の人生を生きられる」という前提に立っているようですが、私も違和感を感じ、どこか間違っているような気がしていました。
未来のためにと、行動しているものの、実際には美術館でとった写真をのんびり見返す人なんていない。
それでも、なぜか絵の写真を取らないと、その場では満たされた気持ちにならない。
本当は人生も一期一会、「今」しかないのに。
私たちの生き方もこれと同じです。
「理想的な未来」なんてどこにもない
絵をいつかどこかで見返す時のために一生懸命スマホに納めている人々のように、
ロバのように「最高の未来」を目指して現在を我慢していても、自分の時間をコントロールしようとしても、それはいつまでたってもやってこない。
いつも自分の一歩先にその未来はある、と本では表現しえいます。
本でも、「自分自身を将来のための手段として使う」という自虐的行為を、人々はあえて選んでおり、自分の人生をコントロールしているという全能感が手に入るからである、と書いています。
時間なんてコントロールできるものではないのに。
例えば、子供の発表会に現れない、エリート弁護士。
私たちは、自分たちの人生の本当の意味は未来にあると信じることで、今この時を生きることから逃げているのではないか?
冷や水を浴びるように、現実を認めて、未来をコントロールしたいという執着を手放し、「現実は思い通りにはならない」ということを理解すればいい、と本では書かれています。
全てのタスクをこなすより、「全てのタスクをこなそうとする誘惑からの解放」の方が大事なようなのです。
未来についてコントロールするのではなく、時間の流れに身をゆだねること。やらないことにモヤモヤ感を抱かず、目の前の大事なことに集中すること。
ということで私も「やることリスト5つリスト」と「大量のやらないことリスト」を作成しました。
(※やることリストはメンバーシップ限定で後程公開します)
大量のやらないことリストの中には、美術館で写真を撮らない、仕事を優先しない、なども含まれます。
超迷惑な、元職場の「デキる風のやつ」
前のストレスが多かった職場にいた「仕事ができる」ということで出世が早かったとある外国人は、メールの返信がやたらと早いことで有名でした。
それこそ、人と話していてもメールの返信をする、スマホをずっと見ているので、気持ち悪いな〜と思っていたのですが、
直接仕事をするようになると、その高速ピンポンのようなメールのやりとりに巻き込まれ、自分自身も疲労するように。
「はい」「〇〇はこれで合ってる?」などの短文にもメールを飛ばすので、私はだんだんと、それを無視するようになったのですが、
結局、自分の時間は限られており、できることよりもできない(捨てる)ことを決めることが大事だということを学びました。
人のことを考えないクソ迷惑な同僚のメールには付き合わない。
(実際、何かADHDなどの病気の人だったと思います)
また、ボランティアや飲み会なども、大きい組織になればなるほど出る必要がない。
ということで、私はどんどん会社との関わり方をスリム化していきました。
やらないことのリストには「メールの即レス」が追加されました。
これらをワーママ的に言いかえると、
・時間は限られており、タスクが片付くことはない。
→仕事も家事も、本当に優先順位が高い、重要なこと以外はやらない(多少床が汚かったり賞味期限切れの食材が冷蔵庫にあっても気にしない能力を身につける)完璧主義は、いつまでもあり得ないものを追うだけであり、ただ自分を苦しめる。ネガティブ・ケイパビリティを持つ。
・限られた時間の中で、すべてをこなすことは無理だという前提で、やらないことを決める
→ちょっとイカれてる同僚の大量のメールの返信や、やらなくてもいい仕事、行きたくない飲み会、などなどは潔く無視。自分のやりたいことや重要度が高いこと「だけ」に集中する。
・未来も過去もぬるく無視し、今しか存在しないと認識する。そして、過去だけではなく、未来についてコントロールはできないと理解する
過去から今を通って未来があるという直線的な考えを辞めるだけ、タスクリストをこなすことに追われないだけで、気持ちが楽になります。
私たち現代人は、時間と言い概念に支配され、未来について考え、しっかりしすぎているのです!
ということで、私もそろそろ就職しなければなのですが、次の職場でもこの考え方を実践していきたいと思います。
参考になりましたら幸いです。
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