労働によって得られる『お金以外のもの』
動物園の除雪バイトというものは、意外と頭脳労働である。
もちろん、体を動かすので肉体労働であることに変わりはないのだが、思考停止して成り立つほど安直な作業ではない。
オープン前は広大な敷地内をいかに効率よく回るかが重要だし、オープン後は行き交うお客様の妨げにならないよう常に気を配る必要がある。
いたずらに大きな音を出さないといった、園内の動物たちへの配慮も当然欠かすことはできない。
さらには、創造力もあった方が良い。
たとえば、積もった雪が坂道になっているとしよう。路面は非常に滑りやすいので、坂道で転倒する人が増えることは容易に考えられる。
では、どうするか。
滑り止めの砂を撒いたり、雪を削って階段状に成形したりすることで、転倒のリスクを抑えられるかもしれない。
このように考えて行動することで、顧客満足度も上がる可能性があるだろう。
しかし、これで万事解決というわけではない。
滑り止めの砂には一定の効果はあるかもしれないが、完全に滑らなくするわけではないので、転倒のリスクは大して下がらないだろう。
また、雪の階段を作ったとしても、全員が階段を行き来できるわけではない。車いすやベビーカーなどは、むしろ坂道(スロープ)の方が進みやすいはずだ。
このように、改善の余地はいくらでもある。
除雪バイトは、難しい仕事ではない。ゆえに、高給でもないし、一介の作業員の責任などたかが知れている。
けれども、やりようは無限にある。
ただ言われた作業だけを淡々とこなしていれば、基本的には何も咎められない。雪の階段を作るなんて面倒なことをしなくたって、怒られもしないし給料も下がらない。
それでも、より良いものを生み出すために思考を巡らせることは、お金以上のものが得られると思う。
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過去の記事で、「やりがい搾取」について書いた。
然るべきお金が与えられるのは、労働の大前提である。
ただし、それはあくまでも最低条件であって、お金がすべてではないだろう。
どうせ働くのならば、楽しいとか面白いとか、自分にとって有意義と思えるような働き方をしたい。
それに、誰かの役に立つということは、働く幸せの一つであり、社会で生きていく上で大切なことの一つである。
雇用形態の如何を問わず、社会の一員として働くことは、絶対にほかの誰かの役に立っているはずだ。
ここまで書いてみて、頭を使って働くという行為は、”役に立っている感”を感じやすくしているように思った。
受け身ではなく能動的である方が充実感もあるだろうから、きっと幸福度も高くなるだろう。
結局、一生懸命働くことが、働く幸せへの一番の近道なのかもしれない。
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