文章に、適度な焙煎を。
好きな飲み物を聞かれたら「コーヒー」と答えるほどにはコーヒーが好きだ。
まず香りが良い。
思い返せば小学生の頃、職員室に漂うコーヒーの香りが好きだった。「コーヒーの魅力の大半は香りだ」と言っても過言ではない。
飲み始めたのは大学から。
研究室で論文を書いているとき、コーヒーを必ずお供にしていた。「コーヒーは卒業論文のスペシャルサンクスだ」と言っても過言ではない。
社会人になってからも、仕事や作業の傍らにはいつもコーヒーがある。それくらい、コーヒーは僕の生活に欠かせない存在となっている。
◇
先日、友人・バツ丸(仮名)と話していたときのことだ。
さまざま国の豆を買い、自分で焙煎し、販売までするほどコーヒー通な彼。そんな彼の淹れるコーヒーを飲むたびに、味の感想を伝えている。今回のは少し酸味が強いとか、フルーティーな味わいだとか。コーヒーは、豆の産地によって味がかなり異なる。
しかし、産地の違いだけでコーヒーの味が変わるわけではないそうだ。
彼曰く、焙煎の程度の違いで味は大きく変化するらしい。
どういうことか。
浅くすればするほど豆の個性が出るのに対し、深くすればするほど平均的な味に近づくという。
つまり、
浅煎り:それぞれの豆本来の味になる
深煎り:どの産地の豆でもすべて似たような味になる
というわけだ。
浅すぎると好みが大きく分かれやすくなり、深すぎると豆の特徴が失われるため、適度な焙煎時間を見極めるのが大事らしい。
この話を聞いたとき、「文章と似ているな」と思った。
浅煎りの文章とは、表現に書き手の個性が強く出るもの。
深煎りの文章とは、一般的な表現で万人受けするもの。
そう考えられるのではないだろうか。
前者に当てはまるのは、エッセイや小説だろうか。文章そのものというより作者にファンがつくタイプのものだ。
そして後者は、読みやすさ重視のWebライティングの考え方に近いように思う。
じゃあ、僕が書きたいのはどっちだろう?
まず、エッセイや小説(漫画原作なども含む)を書きたい気持ちがある。要するに、自己表現がしたいのだ。となると、浅煎りタイプになる。
ただ、個性が強い方ではないと思うので、読んでもらえるための工夫は考える必要がある。Webライター業の経験があるからだろうか、読みやすさや伝わりやすさは意識しているつもりだ。そうなると、それなりに深煎りタイプでもあるのかもしれない。
個性を出しすぎるとマニアックな文章になるし、かと言って読みやすくしすぎると僕が書く意味がなくなってしまう。ちょうどいい塩梅の文章を書く力が、物書きには必要なのだろう。
そうか。これが「適度な焙煎時間を見極める」ってことか。
自分の文章に最適な焙煎。それを探すために、僕は書き続ける。傍らにコーヒーを添えて。
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