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ニュートラルな自分になりたい~『なぜ、私は書くのか』コンテストで優秀賞を受賞するまで~
ニュートラルに生きたい
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私は気分の浮き沈みが激しいタイプ。
ずっとジェットコースターに乗っている感覚で疲れる。
嬉しいことがあるとめちゃくちゃ喜ぶ。
逆に仕事でミスしたり嫌なことがあると立ち直るのに時間がかかる。
というか、立ち直り方がわからなかった。
やけになってお金使ってしまうところがあった。
立ち直るのではなく、気を紛らわそうとしていた。
でもミスしたことは頭の中に頑固な汚れのようにこびりついて離れない。
自己嫌悪になる。
少しでも嫌なことがあると、そのことばかり考えて目の前のことに集中できないのだ。
ニュートラルとは、『中立』。
ニュートラルに生きたいというのは、ポジティブとネガティブの間にいたいということ。
つまり、私は平常心で生きたいということ。
一流のプロスポーツ選手を見ていると、いつだって平常心を保っているように見える。
試合の結果に感情を振り回されることなく、次の試合に向けて心を切り替えていつも精神を落ち着かせているように見える。
そして目の前のやるべきことを淡々とこなしている。
平常心でいると、本来持っている力を発揮できるのだ。
また東洋医学においても『中庸』という概念が大切にされている。
中庸とは真ん中で、バランスを重視している。
人間の身体は正しい食生活をしていれば、BMIが自然に正常値になる。
痩せすぎていたり太りすぎているのは食事の栄養バランスが崩れているということであり、病気になってしまう。
身体もニュートラルを保つことで健やかに生きられるのだ。
嫌なことがあってもそこから良いことを見出す。
良いことがあったら調子に乗らないように気を付ける。
いつもゼロに戻る。それがニュートラルなのだ。
私は一流のプロスポーツ選手のように、ニュートラルに生きたいと思っている。
執着せず運命に任せる
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願いや目標を叶えたいとき、その叶えたいことに執着すると叶わない。
・この試験に落ちたら終わりだ
・この願いが叶わなかったら人生終わりだ
これが執着している状態である。
なので叶えたいことがあるなら、その叶えたいことに対する執着を『手放す』こと。
・やれることはやった、後は運命に任せる
・叶ったら嬉しいけれど、叶わなくても人生が終わるわけじゃないからどっちでもいいや
こんな風に思って安心して委ねることで叶うのだ。
例えばサッカー日本代表選手たち。
プロのサッカー選手になるまでには、それぞれのプロセスがある。
幼い頃からクラブチームに所属していた選手もいれば、高校生のときに強豪校のチームに入り活躍してきた選手もいる。大学生の時にスカウトされる選手もいる。
さらに日本代表選手になってワールドカップという夢のフィールドでプレイするまでには、選手それぞれのプロセスがあって辿り着いている。
サッカー選手のように、どんなプロセスで夢が叶うかはわからない。
だから叶えたい夢にだけ想いを馳せ、その夢が本心からの望みならば、いつか叶うだろうと思うこと。
叶えたいことに執着せず、ニュートラルな精神でいることを心掛けることが大切なのだ。
私は執着しがち。
だからコンテストの結果が良くなくても、夢が叶わなかったということではないのだ、と自分に言い聞かせた。
他人の言動が自分をニュートラルにしてくれる
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鏡の法則というものがある。
鏡の法則とは、他人は自分の内面を映す鏡というもの。
目の前の人は、自分に何かを教えようとしてくれている存在であり、
本当の自分の気持ちに気づかせてくれるのだ。
少し前にこんなことを言われた。
「夢なんてほんの一握りの人しか叶えられないんだよ。」
昔の私なら「何でこんなこと言うの?そんなのわかっているよ」と嘆き、相手のことを自分を攻撃する酷い人だと思って終わっていたはず。
今回は冷静になって鏡の法則に当てはめてみた。
すると他人の口を通して「叶わなかったらどうしよう」という、胸の底で自分が抱いている恐れの感情がわかった。
私は作家になりたいと願ったとき、信じられないショックな出来事が起きた。
足元が一瞬で崩れ、私の頭の中は一気にネガティブな感情に支配された。
「私は幸せになれない。」
「私はそもそも幸せになれない人種なんだ。夢を抱いてはいけないんだ。」
自分だけが暗い崖の下に取り残されたような深い絶望感。
周りの友人たちが雲の上の世界で幸せそうに暮らしているように見えた。
でも、誰かを憎んだり恨んでも何にもならないと思った。
だって、目の前の世界は自分の心を映し出した鏡。
他人は自分に嫌がらせをしているのではない。
他人の言動は、自分の中に溜まっていた感情に気づかせてくれるものなのだ。
だから自分の心と向き合った。感情をノートにひたすら書いた。
そして自分に原因があると認めた。
心を入れ替えようとノートに書いて自分に誓った。
私は自分を救える方法が書くことだった。
その深い絶望は、自分が変わらなければいけないということを教えてくれた。
困難を乗り越えて心をニュートラルに保つ。
そしてコンテストに出会えたのだ。
自分の想いが現実に現れる
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私はブログの集客のためにInstagramとXをやっていた。
フォロワー増やさなきゃ、毎日投稿しなきゃって焦っていた。
他人と比較して一喜一憂する毎日。
情報がたくさん入ってきて頭の中が忙しい。
もう誰が誰だかわからない。
フォローすればフォローしてもらえる。
「これ、意味あるのかな?」と違和感を覚え始めていた。
そしてただただ疲弊するだけだった。
ある日Instagramをしていたら夕飯を作る気力がなくなった。
その日の夜、「自分は何してるんだろう?」と思った。
自分が疲れることを積極的にしていたことに気づいたのだった。
「目の前の生活も大事にできないなんてダメだ、もう辞めよう」
そう決断した瞬間、清々しい気持ちになった。
そして今はXの更新を休むようにした。
すると不思議と甘いものを以前よりも欲しなくなった。
後から知ったが、甘いものが食べたくなるのは頑張りすぎているという身体からのサインだそう。
続かなかったけれど、無駄だったとは思っていない。
すごく良い経験になったと思う。
なぜなら焦りや不安からの行動は上手くいかないとわかったから。
今までの人生を振り返ってみても、頑張っても上手くいかないときは、「そっちじゃないよ」というサインだったのだと思う。
私がnoteに出会ったのは、雑誌ESSE主催の佐藤友美さんの『文章が上達するコツ』セミナーに行ったとき。
驚いたのは、本を出したいと願い始めたら『本を出したい』の著者の佐藤友美さんに会えることになったのだ。
その日の朝、夫に「後悔しないように、聞きたいことは聞いた方がいいよ」と告げられた。
夫から背中を押されたおかげで、セミナー終了後に佐藤友美さんに思い切って「作家になりたいんですけど、どこで書いたらいいですか?」と尋ねることが出来た。
さとゆみさんは親切に「noteが良いよ」と教えて下さった。
コンテストに応募すること等、見ず知らずの私に時間を割いて色々と教えて下さった。
そしてその日の夜、私は藤原華さんのnote『フォロワー30人、投稿1件なのに「noteの書籍化」を達成した方法』を見つけた。
今までフォロワーの人数に悩んでいた自分のところに眩しい光が差した。
そしてコンテスト『なぜ、私は書くのか』に出会い、応募しようと決めた。
自分が本当に望んでいるのであればチャンスはやってくるのだと感じた。
目の前の幸せを感じる
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引き寄せの法則というのは、今の自分と同じ波動のものが引き寄せられる。
夢を叶えるには、夢が叶ったときと同じ波動の自分でいること。
だからコンテストでグランプリを取ったら幸せになれるのではなく、幸せを感じていると良い結果が舞い込んでくると信じた。
まず今目の前にある環境や人に感謝することを心掛けた。
夫、息子、幼稚園の先生、友だち、両親といった周りの人への感謝を毎日ノートに書いた。
書くと胸がじんわりとあたたかくなるのを感じる。
さらに相手にイライラしたりすることも前より減ったように思える。
また、なるべく良い気分を味わうようにしてきた。
行ってみたいところに行ってみた。
ある日、日帰り温泉に行った。
その温泉は昔友人に連れてきてもらったことがあった。
一人で露天風呂にゆっくりと浸かった。
そこは田舎の温泉。
ウシガエルの「モォ~」という大きな鳴き声(100m先まで聞こえるらしい)にビビりながらも、久々の温泉にぽかぽかして癒されていた。
そして目を閉じて、昔ここに来た十年近く前の自分と今の自分を比べてみた。
十年近く前の自分は、「仕事が辛いな」「このまま結婚相手に出会えなかったらどうしよう」といつだって不安に囚われていたことを思い出した。
今の自分は大切な家族が出来て、健康で、休日を好きなように楽しめている。
あぁ、私って幸せ者じゃないかって気付いた。
そして生きているだけでありがたいなって思えた。
感謝の気持ちで胸がいっぱいになって涙が溢れてきた。
こんな風に思えたのはノートに感謝を書き始めたから。
今の自分が昔の自分を見ても、何でも話せる友人がいて、健康で、温泉に来てゆっくり出来ていて幸せ者だったのだ。
昔の自分はわからない未来のことを考えて不安になって、目の前の幸せを味わっていなかった。
未来はどうなるかわからない。
だって昔の自分はこんな未来を歩んでいるなんて全く想像できなかった。
今ここの幸せを感じることって本当に大切なんだなと思った。
そして自分はこの先も大丈夫じゃないかと思えた。
今までいろんなことがあったけれど、こうして幸せを感じて生きているんだから。
自己肯定感が低くて、先を求め過ぎていつまでも満たされていない昔の自分から少し変われていることに気づいた。
ニュートラルとは心穏やかに生きるということ
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物事はすべてニュートラル。光があれば影もある。
良いか悪いかは自分が決めているだけ。
私にはどん底と言える辛い過去があった。
その過去があったからこそ夢が出来た。
でも夢が叶ったから幸せになれるのではない。
幸せとは気付くもの。
昔一緒に温泉に行った友人は、いつも笑顔でポジティブ思考。
今は幼い年子のママで、トイレにゆっくり入ることも出来ないし、自分の時間が持てない。寝るときも子どもたちにぎゅうぎゅうに挟まれてゆったり眠れない。
でも彼女は「幸せってこういうことか~って噛みしめながら寝ている」と私に笑って話してくれた。
コンテストで優秀賞をもらえて光栄である。
華さん、ジャスミンさん、noterのみなさん、貴重な経験をさせて下さってありがとうございます。
グランプリにはなれなかったけれど、まだ伸びしろがあるってことだと思っている。
そして今こうやって好きなように発信できる自分は本当に幸せ。
私が大好きなMr.childrenのCENTER OF UNIVERSEの歌詞。
どんな不幸からも 喜びを拾い上げ
笑って暮らす才能を誰もが持ってる
あぁ世界は薔薇色
総ては捕らえ方次第だ
ここはそう CENTER OF UNIVERSE
人生は楽しむためにあるもの。
自分は宇宙の中心であり、自分の想いが現実を創っているはず。
目の前の幸せを感じて感謝できると、幸せな未来を引き寄せられる。
そしてより豊かな人生になるのだろうと信じている。
私はニュートラルな心を保ち、幸せを感じて生きていきたい。
これを読んで下さったあなたが、幸せに気づけますように☆彡